瀬戸市美術館/オキュパイド・ジャパン展、入場者2000人を超える! 瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

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瀬戸市美術館/オキュパイド・ジャパン展、入場者2000人を超える!

1月16日
☆現在、瀬戸市美術館で今月28日まで開催中の『海を渡ったせとものたち~田中荘子オキュパイド・ジャパンコレクション~』展。入館者数が2000人を超えたそうです。
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*厳寒期にも関わらず、きわめて高い関心が寄せられており、嬉しい限りです。この展示会は写真撮影ができます。 

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*↑会場の入り口にある1階ビデオコーナーでは、当会制作による映像ドキュメント『瀬戸のほほえみよもう一度~オキュパイド・ジャパン~』(約1時間)を毎日上映していますが、異例なことに、このビデオもきわめて高い“視聴率”を見せています。このビデオは中部大学メディア教育センターの撮影・編集機器協力により制作しています。

★占領下の「オキュパイド・ジャパン時代」は、サンフランシスコ講和条約の締結とともに終わりました。その終了と同時に日本からの輸出は新たな船出を遂げました。この年、『日本陶磁器輸出組合』が結成されたのです。中部大学博士前期課程修了論文「メイド・イン・オキュパイド・ジャパンの史的考察」を著された吉原ゆう子さんから当会へ提供された資料「総合通信・陶業タイムス」第192号(昭和27年10月6日発行〉によりご紹介しましょう。

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*この号には次のように報じられています。「五月十五日、日陶連貿易部会が陶磁器単独輸出組合設立を決議以来、全日本の陶磁器輸出に従事する幾多の業者が期待と夢をかけて待望していた日本陶磁器輸出組合は、秋晴れの十月三日午後一時、栄光発展の第一歩を踏み出した。設立同意者一八六名による日本陶磁器輸出組合設立総会は関係業者、関係各官庁、各商議等約一八○名参集のもと、日陶連会館(名古屋市東区布池町)に於いて開催された。同会は永井精一郎議長により進められ、定款商認、事務所所在地決定、事業計画及収支予算並加入金賦課金徴収方法決定等の各議案を審議、設立発起人会案を満場一致で可決の後、役員選出を行った」。
*この資料によれば、『日本陶磁器輸出組合』の事務所は名古屋陶磁器会館の中に置かれました。この建物は「名古屋陶磁器貿易商工同業組合の事務所として1932年(昭和7年)11月に完成」。現存しており、現在は財団法人「名古屋陶磁器会館」となっています。同組合は、東京の銀座に関東支部を、神戸に関西支部を置きました。
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(↑「名古屋陶磁器会館」のホームページより↓)
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*この資料によれば『日本陶磁器輸出組合』の幹部役員は次のとおりでした。当時の輸出陶磁製品の主なメーカーや商社が顔を並べていました。
理事長・永井精一郎(ジャパントレーディング)、理事として、水野智彦(森村商事)、佐治博(佐治タイル)、渡辺勝彦(日本陶器)、加藤隆市(日本窯工)、朝岡行雄(太洋商工)、山口長男(山口陶器)、水野えいじ(UCGC)、杉山鉦造(南洋商行)、加藤寿保(山寿商店)、山城柳平(丸山陶器)、竹崎宇吉(エンパイヤ商事)等、その他でした。
また、監事や顧問に、井元松造(井元産業)、櫻井光二(茂木商事)、森欽太郎(森欽窯業)、水野保一(瀬栄合資)、坂井美静(松風陶器)等が入っていました。

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*また、この資料により、オキュパイド・ジャパン時代の最終年、名古屋港から輸出されたノベルティを含める陶磁製品の仕向け先が具体的に判明しました。8月の輸出先はおよそ次のとおりでした。当時、相当数の品目が輸出されていたことが分かります。

<置物・花瓶…壁掛け・ミネチアー・碗皿>
スウェーデン、オランダ、ベルギー、西ドイツ、スイス、カナダ、アメリカ、メキシコ、ニカラグア、パナマ、キューバ、コロンビア、ベネズエラ、ペルー、ケニア、仏領ソマリランド、ハワイ、シンガポール、シリア、トルコ
<玩具…トライセットなど>
パキスタン、スウェーデン、オランダ、ベルギー、カナダ、アメリカ、メキシコ、セントピーレ、ハワイ、ホンジュラス、ニカラグア、パナマ、キューバ、コロンビア、ベネズエラ、ペルー、ナイゼリア、南アフリカ
<喫煙用…煙草セット・灰皿・灰払など>
ビルマ、スウェーデン、オランダ、ベルギー、カナダ、アメリカ、メキシコ、セントピーレ、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、ハワイ、グアテマラ、ウルグアイ、キュラソー、香港、イラン、シリア、トルコ
<家庭用・芸術品…>
シンガポール、スウェーデン、ベルギー、西ドイツ、カナダ、アメリカ、メキシコ、キューバ、コロンビア、南アフリカ
<タイル>
香港、仏印、シャム、シンガポール、フィリピン、シンガポール、ジャワ、セレベス、ビルマ、インド、蘭印、カナダ、アメリカ、メキシコ、ナイジェリア、ケニア
<碍子類>
台湾、タイ、シンガポール、インド、コロンビア、ベネズエラ、オーストラリア
<衛生陶器>
香港、エクアドル

<洋食器>…上記以外の国を列挙します。
パキスタン、ノルウェー、ギリシア、ホンジュラス、サルバドル、マダガスカル、
<皿・丼・茶碗>
スマトラ、ボルネオ・セイロン・アフガニスタン・イラク・サウジアラビア・アフガニシタン・クワート・アルメリア・レバノン・マルタ・ニカラグア・コスタリカ・ジャマイカ・ドミニカ・ボリビア・黄金海岸・ケニア・ザンジバール・リュニオン・西アフリカ、ザンジバール、エジプト、タイ、ジャマイカ、ホンジュラス

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(↓オキュパイド・ジャパン時代の碍子 : 当会が山国製陶の解体現場から収拾した製品)
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※『オキュパイド・ジャパン』という占領時代、日本の貿易はどのような課題を抱えていたのでしょうか。
*当時の通商産業省軽工業局の輸出課長は「日本陶磁器輸出組合の発足に際して」という項の中で次のように述べています。
「陶磁器の1951年の生産及び輸出は、戦後の最高を示し、生産は34万トン、輸出は12万トンに達した。輸出は金額にして3329万ドルで、その50%に近い額がドル地域向けであり、しかも陶磁器工業はその原料の大部分を国内で自給できる外貨取得の高度な産業である。また、輸出品の大部分は中級品であり、一部のものを除いては他国製品との競合関係はみられない。しかし、反面、中小企業がほとんど大部分であるので、景気変動の影響を受けることが甚だしく、したがって売り込み競争激甚のためバイヤーの買い叩きやダンピング等を惹起する傾向が強く、外国の工業所有権の侵害等の事件もすでに発生している。かかる不公正な輸出輸出を防止し、且つ、輸出取引の秩序を確立し、輸出貿易の健全な発達をはかるために制定されたものが輸出取引法である」。

*また、この総合通信「陶業タイムス」第192号(昭和27年10月6日発行/p11 〉に次のように書かれています[。(『オキュパイド・ジャパン』という占領時代、日本の貿易はさまざまな課題を抱えていました。)日本の貿易業界は、弱体化した体質のまま激しい国際競争のなかへ投げ出され、過当競争による安売りと品質の粗悪化を招きました。また、わが国の輸出取引がとかく無秩序な競争を惹起し、海外の諸国に対して著しい損失、もしくは不安を与えた事例があり、輸出業者間の協定、又は輸出組合の結成と活動を認めることによって輸出取引の秩序の確立を図る必要がありました。しかし、貿易業者の組合の結成と強化は独占禁止法の制約を受けてなかなかはかどらなかったのです。そこで、「公私の貿易及び通商において国際的に承認された公正な慣行に従う意思を宣言する」とする「サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)」の締結に歩を合わせ、輸出カルテルを独占禁止法の適用除外とするため『輸出取引法』が定められ,翌年、輸入カルテルも認められました。法律の概要は(1) 不公正な輸出取引の禁止(2) 輸出入取引に関する協定の締結や組合の設立を認め、独占禁止法の適用除外とする(3) 協定や組合のアウトサイダーが取引秩序の確立を妨げるときの規制などでした。

*この号では、新組合の主要組合員の声も載せられています。その中に丸山陶器・山城柳平社長の声も掲載されています。↓
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↑「メーカーが輸出業者の気持で物を作るように指導してもらえる機会だと思っている。とにかく売れる品物を作ることが大切なことで、一度だけの輸出は困りもの。見本と荷口の相違は日常茶飯事、甚だしいのは一般価格の半分以下で受注などというのが出てくる。戦後の経験のない輸出業者がコミッションだけ取ればいいと、バイヤーと一緒になってまけさせたことがあったが、こんなことは無くなるものと期待している」。

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(↑『日本陶磁器輸出組合』の設立カクテルパーティ)

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*↑陶業タイムス、この昭和27年の192号に「せとものまつり」のことも紹介されていました。↓
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*↑瀬戸市へ遊びにやってきた若い米兵(瀬戸市民から当会へ提供された写真)




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