「聖人・コルベ神父 光のガラス像」誕生ーノベルティとガラスの融合ー
2022年4月11日(月)

(↑「聖人・コルベ神父のガラス像」:H24 x 7.5 x 6 cm 撮影・まつふじのりえ)
☆富山市在住のガラス作家・松藤孝一さんはガラスという素材の中に光と闇、希望と絶望、生と死、やすらぎと畏怖の想いを見つめてきました。松藤さんは、ナチスによって殺されたカトリックの聖人・コルベ神父の中に人間存在の闇と光、死と生、絶望と希望の極みを見出し、このほどノベルティとガラスという二つの素材と製作技法を融合して「聖人・コルベ神父 光のガラス像」を作り上げました。そして、4月10日、松藤さんはこのガラス像をコルベ神父ゆかりのポーランド・ニエポカラヌフ修道院へ寄贈のため発送しました。(この「聖人・コルベ神父のガラス像」は今年6月25日から9月18日まで瀬戸市新世紀工芸館で展示されます)


(↑ガラス造形作家・松藤孝一さん:瀬戸ノベルティ倶楽部で)



(「聖人・コルベ神父 光のガラス像」 :松藤孝一作)
*松藤孝一さんは長崎市の生まれです。松藤さんは、その長崎の地でかつてコルベ神父が布教活動をしていたこと、その後ポーランドに帰ったコルベ神父がナチスによってアウシュビッツ強制収容所に連行され、そこで他者のために自分の命をすすんで投げ出して人生を閉じたという気高く、壮絶な人生を送ったことを聞いてきたそうです。そうした生い立ちを持つ松藤さんが聖人・コルベ神父のガラス像」を作ろうと思い立ったのは、当瀬戸ノベルティ文化保存研究会がブログに掲載していた記事と出会い、コルベ神父が瀬戸市でノベルティの像として作られていたことを知ったことがきっかけでした。2022年初め、「瀬戸ノベルティ倶楽部」(瀬戸市末広町にある当会活動拠点)を訪れた松藤さんは、コルベ神父のノベルティ像を間近に見ました。

(↑コルベ神父のノベルティ:瀬戸ノベルティ文化保存研究会収集品)
*松藤さんはまた、コルベ神父のそのノベルティ像が瀬戸カトリック教会で今もなお大事に飾られている姿を見て感動し、その感動を光(ガラス)の像にしたいとの想いを深めました。そして、コルベ神父のノベルティ像がガラスの製作技法と似た石膏型を用いる技法によって作られていることを改めて実感し、コルベ神父像を生み出した瀬戸のノベルティ文化への尊敬の念から、敢えてオリジナルの像を作るのではなく、瀬戸のノベルティ像を元に母胎としての石膏型を起こし、自分の仕事の技である「ガラス」という素材を用いて「新たな『聖人』コルベ神父・光のガラス像」を作り上げることにしたのです。「この「『聖人』コルベ神父・光のガラス像」は、瀬戸ノベルティの技とガラスの技との融合から生まれた作品なんです。”融合という創作”の中に私はガラス工芸の新たな可能性というものを見出したいのです…」 松藤さんはそう語ります。

(↑コルベ神父がナチスの餓死刑により47歳の生涯を閉じたポーランド・アウシュヴィッツ強制収容所↓)


(↑カトリックの聖人・コルベ神父 Maximilian-Kolbe 1894- 1941)
*コルベ神父が初めて長崎に着任したのは1930年(昭和6)4月24日のことでした。コルベ神父は1930年に二度、そして1933年から1936年までの計三度、日本に赴任し、その間、長崎市に「聖母の騎士修道院」を設立しました。ポーランドに帰ってから1941年2月17日、ニエポカラヌフ修道院院長だったコルベ神父はナチスドイツのゲシュタポによって5名の神父の一人として逮捕され、アウシュヴィッツ強制収容所に連行され、そこで拷問に会いました。その強制収容所で脱走があり、その連帯責任として収容者の中から10人の処刑者が見せしめに選ばれた時、妻子ある若者が必死で命乞いをしました。コルベ神父はその若者の身代わりを自ら進んで申し出ました。そして、コルベ神父は「飢餓室」に閉じ込められ、餓死の刑を受け入れて47歳で亡くなったのです。

*「キリストによってこの地上にもたらされた神の愛ー心臓の鼓動である愛は、20世紀にわたって数多い英雄の名を刻み続けてきたが、この中にキリストに愛されている見知らぬ兄弟のために一命をなげうったマキシミリアノ・コルベ神父の名を付け加えなければならない。…全く特殊な殉教である。いわば、『友人のために命を与える以上の大きな愛はない』(ヨハネ15・13 )という兄弟を愛したキリストの愛にならった<愛の殉教>である」。(コルベ神父の評伝「聖者・マキシリアノ・コルベ」(アントニオ・リッチャルディ著/西山達也訳・聖母の騎士社刊より)。
*コルベ神父はキリストその人の人生をなぞるように人生を全うした人だったのです。このコルベ神父のことは作家の遠藤周作さんが小説『女の一生・第二部~サチ子の場合~』で詳しく書いています。『女の一生』二部作は、幕末・明治の切支丹迫害事件「浦上四番崩れ」を材料にした小説です。この小説の中で遠藤周作さんが描いたのは、まさに苛斂誅求の暴圧にも屈しなかった日本の切支丹信仰の姿であり、弾圧の中でも暴力に訴えることなく誇り高く信仰を守りとおしたキリシタンの歴史です。

(↑遠藤周作の小説『女の一生』二部作、右:『女の一生・第二部~サチ子の場合~』)
*遠藤周作さんの小説『女の一生・第二部~サチ子の場合~』は長崎に生きたクリスチャンのサチ子という女性が同じクリスチャンの若者を愛しぬいた物語です。二人は長崎に赴任していたコルベ神父のことを知ります。「人、その友のために死す。これより大いなる愛はなし」というコルベ神父の残した言葉(聖句)に二人は深く感動します。恋人の若者は軍隊に召集され、キリスト者として「人を殺す戦争」に大きな疑問を感じ、自ら特攻隊に志願して死んでいくのですが、その迷いと苦しみに満ちた心模様をアウシュビッツでのコルベ神父の受難と重ね合わせて書き綴ったのが『女の一生・第二部~サチ子の場合~』という小説です。


(↑ガラス造型作家・松藤孝一さん)
*富山市在住の松藤孝一さんは1973年長崎市生まれ。現在、富山と名古屋・瀬戸を拠点に活動。2016年から「学生から教員までガラスという素材で表現を欲する人が寄り集まる『富山ガラス造形研究所』」の准教授を勤めています。松藤さんはガラス造形作家として研鑽を積む中で自分が見つめて来た「人間の中の光」「この世のヒカリ」を自分流のガラス造形作品の中に灯し出すことを作風としてきたといいます。そして、2022年早春、生まれ故郷の長崎にゆかりの深いコルベ神父が他者のために進んで自らの命を捧げた生き方を改めて反芻し、また長崎の伯母の被爆体験とも重ね合わせて、「コルベ神父がこの世に放った人間の光」をガラスで造形するという作品を作ったのです。

*松藤さんがガラスの中に見つめてきたものは「ガラスが見せる二面性」だと言います。

*「18才の頃でした。初めて1300℃で熔解されたガラスを見たとき、私は『死』を感じました。それは私には、火口から見えるマグマのように生命が存在できない世界に映りました。ところが、炎で熱せられた真っ赤なガラスがひとたび冷めると、その姿は一変して違った表情を見せます。透明で光を内包する神秘的なガラスに変化したとき、私はその物質の『生』を感じました。まさに形が生まれる瞬間を私は知ったのです」。
*光と闇、希望と絶望、生と死、やすらぎと畏怖…。そうした二面性を見せるガラスの造形…。松藤さんは、2011年の東日本大震災以降は特に「生と死」をテーマにしたガラス作品の創作活動に励んできたそうです。

(↑2011年5月、宮城県気仙沼市で当会の中村が撮影↓)

*「鉄腕アトム」や「ゴジラ」を見て育ち、「宇宙戦艦ヤマト」「超時空要塞マクロス」などアニメにも強く影響を受けたという松藤さん。その代表作の一つは、東日本大震の起きた2011年から発表を続けているウランがモチーフの『世界の終わりの始まり』です。

*「世界の終わりの始まり」で用いたのはウラン鉱石を混ぜたウランガラス。紫外線(ブラックライト)を当てると緑色の蛍光色のように発光するウランガラスを、大小さまざまな瓶状などにして密集させ、高層ビル群のような未来都市を作り上げた。「原爆で軍事利用されたウランがつくり出す都市の美しさに、社会が犠牲の上で成り立っていることを示す」と松藤さん。

*松藤さんが新しく、そして未知のガラス芸術素材として注目するウラン。そのウランを武器として作られた原爆は長崎にも落とされ、松藤さんの母の姉・伯母も被爆していました。その蛍光緑色が暗示するものは未来の都市か、破壊された都市なのか…。「ウランの持つ大きなエネルギーには正と負の両面があります。軍事利用された原子爆弾からは夥しい被害者が生まれ、平和利用を目的とした原子力発電からは大きなエネルギーの恩恵を受けていることも事実です。エネルギー源として利用されている原子力はチェルノブイリや福島の原発事故のように人々に甚大な被害をも与えてきたのです」。(松藤さんの話)
![200px-Fr.Maximilian_Kolbe_1939[1]ds](https://blog-imgs-98-origin.fc2.com/s/e/t/setonovelty/20161224114020e7f.jpg)
(↑「カトリックの聖人」コルベ神父)
*当会がコルベ神父のことを知ったのは2016年(平成28)7月27日、偶然の出会いからでした。瀬戸のあるノベルティメーカーが廃業し、窯が解体されることになりました。当会がその焼成窯を写真とビデオで記録撮影をしていた時、窯のほとりにうち捨てられていた一体の像を見つけました。それがコルベ神父のノベルティであったことを当会が知ったのはその後のことでした。

*↑コルベ神父像を焼いた窯です。


(↑コルベ神父の瀬戸ノベルティ↓)


(↑コルベ神父のノベルティを作った折の石膏型)

(↑コルベ神父のノベルティを焼いた窯:解体直前の姿)


(↑解体作業風景:当会撮影↓)

*このノベルティメーカーは2016年9月すべてが解体され、当会はその解体の様子を克明にビデオ映像で記録しました。


*コルベ神父のノベルティを焼いた窯も瀬戸の町から消えました。


*幸いにも当会はコルベ神父のノベルティを作った人とお会いすることができました。瀬戸カトリック教会でのことでした。↓

(↑瀬戸カトリック教会↓)


*↑この教会にもキリストの誕生物語をジオラマ化した“ナティビティ”が作られていました。
*2016年(平成28)12月22日、当会はクリスマスを前にした頃、このコルベ神父のノベルティを作った人を探しあて、出会うことができました。その人は瀬戸市の郊外、小さな川のほとりに住んでいました。


*↑コルベ神父のノベルティはこの建物の中で作られました。


*かつてこの建物はノベルティ工場で、10人ほどの職人がノベルティの生地(きじ・素地)を作っており、コルベ神父のノベルティは1983年(昭和58)にここで作られたのです。↓

*コルベ神父のノベルティを作ったのはノベルティメーカーの元経営者で、その時87歳になられるという方でした。この建物の中には初めに作った頃の色のついた試作品も残されていました。




*コルベ神父のノベルティを作ったこの方は自らもクリスチャンでした。


*1982年(昭和57)、コルベ神父はローマカトリック教会によって「聖人」の位に列せられました。そして、翌1983年(昭和58)、コルベ神父は瀬戸のこの篤志家の手によってやきもののノベルティとして甦ることになりました。この篤志家がコルベ神父の「列聖」を記念してノベルティ600体を作り、カトリックの信者に寄贈したのです。

(試作品も含めたコルベ神父の瀬戸ノベルティ:瀬戸ノベルティ文化保存研究会への寄贈品)

(↑カトリックの聖人・コルベ神父 Maximilian-Kolbe (1894-1941)の肖像画)
*そして、コルベ神父が「聖人」に列せられてから40年になる今年2022年、コルベ神父は今度、松藤孝一さんの手によって「光のガラス聖像」として甦ったのです。
*「続くコロナ禍の中で、自分は人とどのように繋がることができるのか…」、自らにそう問い続けてきたという松藤さん。その一つの応えとして今見出しているテーマが「コルベ神父が放つ人間の光」です。

↑「仏さまのような、光を内包した赤ちゃん。それは、未来に向けた、祈りとしての存在」。
(松藤孝一作「山頭赤子坐像」:富山ガラス造型研究所webギャラリー)

*2018年(平成30)7月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されました。当初はキリスト教の伝来と禁制、復活の経過を伝える遺産として14遺産を推薦しましたが、諮問機関(イコモス)から日本の特徴である禁教期に焦点を当てるよう促され、内容を見直して2017年2月に再推薦され、2018年の世界遺産登録となったものです。

*禁教期の教会という建物だけでなく、200年以上にわたって信仰をつないできた信仰内面のありようや歴史、信徒が暮らしてきた集落、崇拝する聖なる山や島、景観などに焦点を結ぶ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。

*そうした歴史を持つ長崎の地にガラス造型作家の松藤孝一さんは生を受けました。その長崎の地に深い縁を刻んだ世界の聖人がコルベ神父でした。

(↑「カトリックの聖人・コルベ神父」 Maximilian-Kolbe 1894- 1941)

(「カトリックの聖人・コルベ神父」の瀬戸ノベルティ)

(↑コルベ神父の瀬戸ノベルティが作られた際の石膏型)
(↑「聖人・コルベ神父のガラス像」:松藤孝一作 撮影・まつふじのりえ)

☆光と闇、希望と絶望、生と死、やすらぎと畏怖に注がれる松藤さんのガラスへの思い。松藤さんは、コルベ神父の中に人間存在の闇と光、死と生、絶望と希望の極みを見つめ、その両極への想いをガラスという素材で造形したのです。

☆ガラスとノベルティという二つの素材と製作技法とを融合して松藤孝一さんが作り上げた「コルベ神父のガラス像」。この像はロシアのプーチンによるウクライナ侵略と言う極悪非道の暴虐が行われた時の中で生まれました。このガラス像の奥深くに湛えられる光は、ナチスの恐ろしさや非人間性を告発するだけに留まらず、「ナチスは死んではいなかった」、いや、この地球の上に人間の歴史が続く限り「人間の果てしない欲望の中からナチスは生まれ続ける…」、そうしたことを無言のうちに告発し、警告し続けていくことでしょう。
そして、この「光のコルベ神父像」はまた、人間存在への希望や信頼をも無言のうちに語りかける像なのです
<今年6月25日〜9月18日、「松藤孝一・中田ナオト二人展"7・3(ナナサン)"」 瀬戸市新世紀工芸館で展示される予定です>

(↑「聖人・コルベ神父のガラス像」を制作したガラス造形作家・松藤孝一さん:瀬戸ノベルティ倶楽部で)

(↑「聖人・コルベ神父のガラス像」:H24 x 7.5 x 6 cm 撮影・まつふじのりえ)
☆富山市在住のガラス作家・松藤孝一さんはガラスという素材の中に光と闇、希望と絶望、生と死、やすらぎと畏怖の想いを見つめてきました。松藤さんは、ナチスによって殺されたカトリックの聖人・コルベ神父の中に人間存在の闇と光、死と生、絶望と希望の極みを見出し、このほどノベルティとガラスという二つの素材と製作技法を融合して「聖人・コルベ神父 光のガラス像」を作り上げました。そして、4月10日、松藤さんはこのガラス像をコルベ神父ゆかりのポーランド・ニエポカラヌフ修道院へ寄贈のため発送しました。(この「聖人・コルベ神父のガラス像」は今年6月25日から9月18日まで瀬戸市新世紀工芸館で展示されます)


(↑ガラス造形作家・松藤孝一さん:瀬戸ノベルティ倶楽部で)



(「聖人・コルベ神父 光のガラス像」 :松藤孝一作)
*松藤孝一さんは長崎市の生まれです。松藤さんは、その長崎の地でかつてコルベ神父が布教活動をしていたこと、その後ポーランドに帰ったコルベ神父がナチスによってアウシュビッツ強制収容所に連行され、そこで他者のために自分の命をすすんで投げ出して人生を閉じたという気高く、壮絶な人生を送ったことを聞いてきたそうです。そうした生い立ちを持つ松藤さんが聖人・コルベ神父のガラス像」を作ろうと思い立ったのは、当瀬戸ノベルティ文化保存研究会がブログに掲載していた記事と出会い、コルベ神父が瀬戸市でノベルティの像として作られていたことを知ったことがきっかけでした。2022年初め、「瀬戸ノベルティ倶楽部」(瀬戸市末広町にある当会活動拠点)を訪れた松藤さんは、コルベ神父のノベルティ像を間近に見ました。

(↑コルベ神父のノベルティ:瀬戸ノベルティ文化保存研究会収集品)
*松藤さんはまた、コルベ神父のそのノベルティ像が瀬戸カトリック教会で今もなお大事に飾られている姿を見て感動し、その感動を光(ガラス)の像にしたいとの想いを深めました。そして、コルベ神父のノベルティ像がガラスの製作技法と似た石膏型を用いる技法によって作られていることを改めて実感し、コルベ神父像を生み出した瀬戸のノベルティ文化への尊敬の念から、敢えてオリジナルの像を作るのではなく、瀬戸のノベルティ像を元に母胎としての石膏型を起こし、自分の仕事の技である「ガラス」という素材を用いて「新たな『聖人』コルベ神父・光のガラス像」を作り上げることにしたのです。「この「『聖人』コルベ神父・光のガラス像」は、瀬戸ノベルティの技とガラスの技との融合から生まれた作品なんです。”融合という創作”の中に私はガラス工芸の新たな可能性というものを見出したいのです…」 松藤さんはそう語ります。

(↑コルベ神父がナチスの餓死刑により47歳の生涯を閉じたポーランド・アウシュヴィッツ強制収容所↓)


(↑カトリックの聖人・コルベ神父 Maximilian-Kolbe 1894- 1941)
*コルベ神父が初めて長崎に着任したのは1930年(昭和6)4月24日のことでした。コルベ神父は1930年に二度、そして1933年から1936年までの計三度、日本に赴任し、その間、長崎市に「聖母の騎士修道院」を設立しました。ポーランドに帰ってから1941年2月17日、ニエポカラヌフ修道院院長だったコルベ神父はナチスドイツのゲシュタポによって5名の神父の一人として逮捕され、アウシュヴィッツ強制収容所に連行され、そこで拷問に会いました。その強制収容所で脱走があり、その連帯責任として収容者の中から10人の処刑者が見せしめに選ばれた時、妻子ある若者が必死で命乞いをしました。コルベ神父はその若者の身代わりを自ら進んで申し出ました。そして、コルベ神父は「飢餓室」に閉じ込められ、餓死の刑を受け入れて47歳で亡くなったのです。

*「キリストによってこの地上にもたらされた神の愛ー心臓の鼓動である愛は、20世紀にわたって数多い英雄の名を刻み続けてきたが、この中にキリストに愛されている見知らぬ兄弟のために一命をなげうったマキシミリアノ・コルベ神父の名を付け加えなければならない。…全く特殊な殉教である。いわば、『友人のために命を与える以上の大きな愛はない』(ヨハネ15・13 )という兄弟を愛したキリストの愛にならった<愛の殉教>である」。(コルベ神父の評伝「聖者・マキシリアノ・コルベ」(アントニオ・リッチャルディ著/西山達也訳・聖母の騎士社刊より)。
*コルベ神父はキリストその人の人生をなぞるように人生を全うした人だったのです。このコルベ神父のことは作家の遠藤周作さんが小説『女の一生・第二部~サチ子の場合~』で詳しく書いています。『女の一生』二部作は、幕末・明治の切支丹迫害事件「浦上四番崩れ」を材料にした小説です。この小説の中で遠藤周作さんが描いたのは、まさに苛斂誅求の暴圧にも屈しなかった日本の切支丹信仰の姿であり、弾圧の中でも暴力に訴えることなく誇り高く信仰を守りとおしたキリシタンの歴史です。

(↑遠藤周作の小説『女の一生』二部作、右:『女の一生・第二部~サチ子の場合~』)
*遠藤周作さんの小説『女の一生・第二部~サチ子の場合~』は長崎に生きたクリスチャンのサチ子という女性が同じクリスチャンの若者を愛しぬいた物語です。二人は長崎に赴任していたコルベ神父のことを知ります。「人、その友のために死す。これより大いなる愛はなし」というコルベ神父の残した言葉(聖句)に二人は深く感動します。恋人の若者は軍隊に召集され、キリスト者として「人を殺す戦争」に大きな疑問を感じ、自ら特攻隊に志願して死んでいくのですが、その迷いと苦しみに満ちた心模様をアウシュビッツでのコルベ神父の受難と重ね合わせて書き綴ったのが『女の一生・第二部~サチ子の場合~』という小説です。


(↑ガラス造型作家・松藤孝一さん)
*富山市在住の松藤孝一さんは1973年長崎市生まれ。現在、富山と名古屋・瀬戸を拠点に活動。2016年から「学生から教員までガラスという素材で表現を欲する人が寄り集まる『富山ガラス造形研究所』」の准教授を勤めています。松藤さんはガラス造形作家として研鑽を積む中で自分が見つめて来た「人間の中の光」「この世のヒカリ」を自分流のガラス造形作品の中に灯し出すことを作風としてきたといいます。そして、2022年早春、生まれ故郷の長崎にゆかりの深いコルベ神父が他者のために進んで自らの命を捧げた生き方を改めて反芻し、また長崎の伯母の被爆体験とも重ね合わせて、「コルベ神父がこの世に放った人間の光」をガラスで造形するという作品を作ったのです。

*松藤さんがガラスの中に見つめてきたものは「ガラスが見せる二面性」だと言います。

*「18才の頃でした。初めて1300℃で熔解されたガラスを見たとき、私は『死』を感じました。それは私には、火口から見えるマグマのように生命が存在できない世界に映りました。ところが、炎で熱せられた真っ赤なガラスがひとたび冷めると、その姿は一変して違った表情を見せます。透明で光を内包する神秘的なガラスに変化したとき、私はその物質の『生』を感じました。まさに形が生まれる瞬間を私は知ったのです」。
*光と闇、希望と絶望、生と死、やすらぎと畏怖…。そうした二面性を見せるガラスの造形…。松藤さんは、2011年の東日本大震災以降は特に「生と死」をテーマにしたガラス作品の創作活動に励んできたそうです。

(↑2011年5月、宮城県気仙沼市で当会の中村が撮影↓)

*「鉄腕アトム」や「ゴジラ」を見て育ち、「宇宙戦艦ヤマト」「超時空要塞マクロス」などアニメにも強く影響を受けたという松藤さん。その代表作の一つは、東日本大震の起きた2011年から発表を続けているウランがモチーフの『世界の終わりの始まり』です。

*「世界の終わりの始まり」で用いたのはウラン鉱石を混ぜたウランガラス。紫外線(ブラックライト)を当てると緑色の蛍光色のように発光するウランガラスを、大小さまざまな瓶状などにして密集させ、高層ビル群のような未来都市を作り上げた。「原爆で軍事利用されたウランがつくり出す都市の美しさに、社会が犠牲の上で成り立っていることを示す」と松藤さん。

*松藤さんが新しく、そして未知のガラス芸術素材として注目するウラン。そのウランを武器として作られた原爆は長崎にも落とされ、松藤さんの母の姉・伯母も被爆していました。その蛍光緑色が暗示するものは未来の都市か、破壊された都市なのか…。「ウランの持つ大きなエネルギーには正と負の両面があります。軍事利用された原子爆弾からは夥しい被害者が生まれ、平和利用を目的とした原子力発電からは大きなエネルギーの恩恵を受けていることも事実です。エネルギー源として利用されている原子力はチェルノブイリや福島の原発事故のように人々に甚大な被害をも与えてきたのです」。(松藤さんの話)
![200px-Fr.Maximilian_Kolbe_1939[1]ds](https://blog-imgs-98-origin.fc2.com/s/e/t/setonovelty/20161224114020e7f.jpg)
(↑「カトリックの聖人」コルベ神父)
*当会がコルベ神父のことを知ったのは2016年(平成28)7月27日、偶然の出会いからでした。瀬戸のあるノベルティメーカーが廃業し、窯が解体されることになりました。当会がその焼成窯を写真とビデオで記録撮影をしていた時、窯のほとりにうち捨てられていた一体の像を見つけました。それがコルベ神父のノベルティであったことを当会が知ったのはその後のことでした。

*↑コルベ神父像を焼いた窯です。


(↑コルベ神父の瀬戸ノベルティ↓)


(↑コルベ神父のノベルティを作った折の石膏型)

(↑コルベ神父のノベルティを焼いた窯:解体直前の姿)


(↑解体作業風景:当会撮影↓)

*このノベルティメーカーは2016年9月すべてが解体され、当会はその解体の様子を克明にビデオ映像で記録しました。


*コルベ神父のノベルティを焼いた窯も瀬戸の町から消えました。


*幸いにも当会はコルベ神父のノベルティを作った人とお会いすることができました。瀬戸カトリック教会でのことでした。↓

(↑瀬戸カトリック教会↓)


*↑この教会にもキリストの誕生物語をジオラマ化した“ナティビティ”が作られていました。
*2016年(平成28)12月22日、当会はクリスマスを前にした頃、このコルベ神父のノベルティを作った人を探しあて、出会うことができました。その人は瀬戸市の郊外、小さな川のほとりに住んでいました。


*↑コルベ神父のノベルティはこの建物の中で作られました。


*かつてこの建物はノベルティ工場で、10人ほどの職人がノベルティの生地(きじ・素地)を作っており、コルベ神父のノベルティは1983年(昭和58)にここで作られたのです。↓

*コルベ神父のノベルティを作ったのはノベルティメーカーの元経営者で、その時87歳になられるという方でした。この建物の中には初めに作った頃の色のついた試作品も残されていました。




*コルベ神父のノベルティを作ったこの方は自らもクリスチャンでした。


*1982年(昭和57)、コルベ神父はローマカトリック教会によって「聖人」の位に列せられました。そして、翌1983年(昭和58)、コルベ神父は瀬戸のこの篤志家の手によってやきもののノベルティとして甦ることになりました。この篤志家がコルベ神父の「列聖」を記念してノベルティ600体を作り、カトリックの信者に寄贈したのです。

(試作品も含めたコルベ神父の瀬戸ノベルティ:瀬戸ノベルティ文化保存研究会への寄贈品)

(↑カトリックの聖人・コルベ神父 Maximilian-Kolbe (1894-1941)の肖像画)
*そして、コルベ神父が「聖人」に列せられてから40年になる今年2022年、コルベ神父は今度、松藤孝一さんの手によって「光のガラス聖像」として甦ったのです。
*「続くコロナ禍の中で、自分は人とどのように繋がることができるのか…」、自らにそう問い続けてきたという松藤さん。その一つの応えとして今見出しているテーマが「コルベ神父が放つ人間の光」です。

↑「仏さまのような、光を内包した赤ちゃん。それは、未来に向けた、祈りとしての存在」。
(松藤孝一作「山頭赤子坐像」:富山ガラス造型研究所webギャラリー)

*2018年(平成30)7月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されました。当初はキリスト教の伝来と禁制、復活の経過を伝える遺産として14遺産を推薦しましたが、諮問機関(イコモス)から日本の特徴である禁教期に焦点を当てるよう促され、内容を見直して2017年2月に再推薦され、2018年の世界遺産登録となったものです。

*禁教期の教会という建物だけでなく、200年以上にわたって信仰をつないできた信仰内面のありようや歴史、信徒が暮らしてきた集落、崇拝する聖なる山や島、景観などに焦点を結ぶ「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。

*そうした歴史を持つ長崎の地にガラス造型作家の松藤孝一さんは生を受けました。その長崎の地に深い縁を刻んだ世界の聖人がコルベ神父でした。

(↑「カトリックの聖人・コルベ神父」 Maximilian-Kolbe 1894- 1941)

(「カトリックの聖人・コルベ神父」の瀬戸ノベルティ)

(↑コルベ神父の瀬戸ノベルティが作られた際の石膏型)

(↑「聖人・コルベ神父のガラス像」:松藤孝一作 撮影・まつふじのりえ)

☆光と闇、希望と絶望、生と死、やすらぎと畏怖に注がれる松藤さんのガラスへの思い。松藤さんは、コルベ神父の中に人間存在の闇と光、死と生、絶望と希望の極みを見つめ、その両極への想いをガラスという素材で造形したのです。

☆ガラスとノベルティという二つの素材と製作技法とを融合して松藤孝一さんが作り上げた「コルベ神父のガラス像」。この像はロシアのプーチンによるウクライナ侵略と言う極悪非道の暴虐が行われた時の中で生まれました。このガラス像の奥深くに湛えられる光は、ナチスの恐ろしさや非人間性を告発するだけに留まらず、「ナチスは死んではいなかった」、いや、この地球の上に人間の歴史が続く限り「人間の果てしない欲望の中からナチスは生まれ続ける…」、そうしたことを無言のうちに告発し、警告し続けていくことでしょう。
そして、この「光のコルベ神父像」はまた、人間存在への希望や信頼をも無言のうちに語りかける像なのです
<今年6月25日〜9月18日、「松藤孝一・中田ナオト二人展"7・3(ナナサン)"」 瀬戸市新世紀工芸館で展示される予定です>

(↑「聖人・コルベ神父のガラス像」を制作したガラス造形作家・松藤孝一さん:瀬戸ノベルティ倶楽部で)