マッカーサーへの寄贈社が判明してきました! 瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

“これこそ、せともの”セトノベルティの魅力を紹介し、その技術継承に努める市民活動団体です。

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

瀬戸ノベルティ文化保存研究会 We are the Seto Novelty Culture Preservation Society, a citizens’organization in Seto City, Aichi Prefecture 、Japan◆瀬戸ノベルティに“最高の評価”!レース人形の最高峰・TK名古屋人形製陶所製「アン王女」が皇室に献上!★瀬戸から「ノベルティ」と「昭和の青春切符~集団就職の記録~」を『日本遺産』に!◆時を超えて香り立つ魅力・ノベルティこそ“瀬戸の華”!セト・ノベルティこそ「せともの」!【瀬戸ノベルティ倶楽部:The Seto Novelty Club〈office〉、Americans who love SETO NOVELTIES, your mail to us is deeply welcome. address :setonovelty_club@yahoo.jp】 写真などこのブログでの画像の無断使用は固くお断りします!

≫ EDIT

マッカーサーへの寄贈社が判明してきました!

3月14日
☆占領時代にマッカーサーへ寄贈された瀬戸ノベルティの同じサンプルなどを当会に寄贈してくれたのは「石原陶器貿易」という名古屋市東区にあった商社でしたが、その製品を実際に作っていたのが「TK(テーケー)工藝陶磁器製陶所」でした。「TK(テーケー)工藝陶磁器製陶所」は今現存する「TK(テーケー)名古屋人形製陶所」とは全く出自が異なる会社です。さる3月9日の中日新聞の報道がきっかけで当会はその「TK工藝陶磁器製陶所」の関係者の存在を知り、昨日、訪ねることができました。そして、その会社についてさらにわかってきたことがあります。 


IMGP8172d_2018031408120806c.jpg
*この会社は戦前は瓦やレンガを作っていました。当時、瀬戸瓦と赤津瓦の二種の系統があり、戦前の同社は瀬戸瓦の3社あったというメーカーの一つでした。同社は、敗戦後まもなくは、鍋や釜など不足していた生活日常品の製造を手がけた後、「TK(テーケー)工藝陶磁器製陶所」を設立したそうです。そして、マッカーサーへ寄贈された製品を作ったこの「TK工藝陶磁器製陶所」時代の製品が他にもいくつか残されていることがわかりました。↓
IMGP8255ew.jpg
IMGP8119e.jpg
IMGP8219ew.jpg
aew_20180314082549d72.jpg
IMGP8117re.jpg
iew_20180314082701d18.jpg
*↑やはり、この製品にもマッカーサー時代、占領下の時代の“TK”マークがありました。
IMGP8052ew.jpg
uew_201803140829526cb.jpg

*実はこのお宅に保存されている写真集から意外なこともわかりました。
IMGP7920ew_20180315111226b6c.jpg

*裏付けの資料とはまだ出会ってはいないものの、旧「首相官邸」や「震災記念堂(現・東京都慰霊堂)」、また「軍人会館(後の旧九段会館)」などの屋根瓦も作っていたそうです。↓
IMGP8162旧首相官邸の屋根瓦を葺いたds
(↑アルバムに貼られていた旧「首相官邸」の写真)

IMGP8102震災記念堂-ew
*↑アルバムに貼られていた「震災記念堂」の写真、現在の「東京都慰霊堂」。↓
IMGP8105震災記念堂qre
*墨田区横網町の東京都立横網町公園 にあります。大正12年9月1日の関東大震災および第二次世界大戦での東京大空襲により亡くなられた方々の遺骨16万3千体を安置している東京都の施設です。
114[1]ew
(↑東京都の公式ホームページより↓)
irei-top_002[1]ew
*↑この歴史的建造物の屋根瓦もこの会社が製造したのです。↓
irei-top_002[1]re
IMGP7962ew.jpg
(↑「TK(テーケー)名古屋人形製陶所」の前身、瓦を作っていた戦前の丸八窯業所時代の写真)

r_20180314083634f05.jpg
*↑「東京軍人会館・鬼出発の時」との書き込みがあります。「東京軍人会館」とは、後の旧「九段会館」のことで、鬼瓦を搬入した時の写真です。
IMGP8157九段会館解体の記事s
*↑この写真アルバムに添付されていた新聞の切り抜き。「軍人会館」は敗戦後、GHQに接収され、“Army Hall”と呼ばれ、米軍兵士の宿舎などとして使われていたそうです。「2・26事件」の時は、戒厳司令部が置かれたという歴史的建造物でした。昭和28年に名称を「九段会館」と変更されましたが、先の東北大震災で被災し、犠牲者も出たため解体されました。当会代表も、このホールで「全国民俗芸能大会」(?)を見せて頂いたことを思い出します。
IMGP8158ds.jpg
ssfd.jpg
*↑「軍人会館」は昭和7年の着工ということですから、この写真はその頃の写真ということになります。↓
IMGP8155父母と双子の妹ds
*↑この写真にはマッカーサーへの寄贈品を作った当時の社主も写っていました。

IMGP8203ewddd.jpg
*↑戦前の写真ですが、「TK工藝陶磁器製陶所」の前の道を行く葬列の写真も残されており、背景の様子からありし日の同社の様子がしのばれます。

IMGP7885ew.jpg
eeeew_2018031408445672e.jpg
*↑「TK工藝陶磁器製陶所」があった場所は今、更地になっています。

IMGP7882ew_20180314085244c33.jpg
*↑「TK工藝陶磁器製陶所」時代の製品がもう一体残されていました。↓
IMGP8298ew.jpg
1ds_20180314121920c6d.jpg
IMGP7892edsw.jpg

IMGP4928re.jpg
(↑1951年9月8日「サンフランシスコ平和条約締結」: 外務省「移り変わる日本」より)

*福永文夫著の『日本占領史1945-1952 - 東京・ワシントン・沖縄 (中公新書) 』はマッカーサーの7年間にわたる占領史を通して、現代まで続く日本の戦後体制形成の歩みを次のように総括しています。「1945年の敗戦後、マッカーサーを頂点にGHQの支配下に置かれた日本。当初占領政策は非軍事化・民主化を推進、平和主義を追求した日本国憲法が花開く。だが冷戦が深まる中、日本を『反共親米』にすべく、政策は経済復興に転換される。51年、朝鮮戦争の最中に結ばれたサンフランシスコ講和条約は日米安保条約とセットの締結となった」。当会が図らずも知ることとなった知られざる名窯「TK(テーケー)工藝陶磁器製陶所」。そこで作られマッカーサーに献呈された二種類の製品を含めたこれらの製品も、そうした東西冷戦の険しい陰影の中にあったのでしょう。朝鮮戦争によって流された夥しい血の悲劇とこれらの製品は決して無縁ではありませんでした。これらのノベルティを物言わぬ戦争の語り部として見るという目線を回復することはこれらの製品が帯びている妖しい美しさを理解する上でなくてはならないものでしょう。当会はできる限りこの会社の実像を把握し、広く公開できるような機会を模索していきたいと考えています。

第一生命館 (東京都) 302ds
(↑GHQ本部ビル/国立国会図書館:モージャー占領下写真より)
Document[3]ew
(↑GHQ本部ビルから車に乗りこむマッカーサー:The MacArthur Memorialより)
Path[13]fd
(↑マッカーサーの像:The MacArthur Memorialより)


☆当会が入手した製品のご紹介です。

IMGP8531ds.jpg
*↑昭和30年代から40年代の瀬戸ノベルティです。
s_20180315233725b6a.jpg
IMGP8536re.jpg

Vintage Lefton Girl Holding Doll Figurine #4662 - 1dd
*↑色違いの製品です。↓
Vintage Lefton Girl Holding Doll Figurine #4662 - 2ee

IMGP8497re.jpg
*昭和39年、東京オリンピックの年に作られた瀬戸ノベルティです。
IMGP8498ew.jpg
IMGP8503re.jpg
IMGP8504ew.jpg




| 記事 | 08:55 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://setonovelty.blog65.fc2.com/tb.php/1009-ddbc36a1

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT