瀬戸ノベルティなど 昭和26年の輸出先 瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

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“これこそ、せともの”セトノベルティの魅力を紹介し、その技術継承に努める市民活動団体です。

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瀬戸ノベルティなど 昭和26年の輸出先

3月1日
☆占領下、“オキュパイド・ジャパン時代”後半の昭和26年。
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*この年の秋の「せともの祭」の写真を見つけました。

昭和26年せともの祭sa
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☆この頃、瀬戸では沢山のノベルティや洋食器、テーブルオーナメントなどが作られ、名古屋港で船積みされて盛んに輸出されていきました。それらの製品はどんな国のどんな町へ送られていったのでしょうか。当会は、そのことを知る貴重な手がかりを見つけました。昭和26年の「陶業タイムス」11月19日号に「名古屋港レポート」という記事が掲載されています。
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*これは、名古屋港から船出した商船の名前と荷受会社、積荷の種類や仕向け先などが記録された記事です。積んだ陶磁器はノベルティや洋食器、碍子、衛生陶器、そして、タイル。例えば、10月14日に出港したトレンマークス丸の場合ー。
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*トレンマークス丸は、それらを積んで名古屋港を昭和26年10月14日に出港。太平洋を越えアメリカに至りました。その寄稿地が記載されています。
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*以下は、トレンマークス丸の寄港地です。
サンフランシスコ、デイワイト?、プンタレナス(Puntarenas:コスタリカ)、カヤオ(Callo:ペルー)、アマパラ(Amapala:ホンジュラス)、サンホセ(San José: コスタリカの首都)、ロス・アンジェルス、パナマ、ヒューストン、ニューオーリンズ、バランキヤ(バランキージャBarranquilla:コロンビア)、クラカオ(Curacao: キュラソー・ベネズエラ・カリブ海に浮かぶ島)、ラ・グアイラ (La Guaira:ベネズエラ)、モントリオール(カナダ・ケベック州)、プエルト・コルテス(Puerto Cortés:ホンジュラス)、ジョージタウン(GeorgetownワシントンD.C.北西部近郊)、フィラデルフィア→ボルティモア、ハミルトン(Hamilton、カナダ・オンタリオ州)、ボストン、ハバナ(キューバの首都)
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*トレンマークス丸は、まずアメリカの西海岸のサンフランシスコとロス・アンジェルスに寄港。
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(↑パナマ運河:1957年 LIFE誌より)
*パナマ運河を越え、カリブ海沿岸都市、コスタリカのプンタレナス(Puntarenas)、ホンジュラスのアマパラ(Amapala)やサンホセ(San José)、コロンビアのバランキヤ(バランキージャ・Barranquilla)、ベネズエラのクラカオ(キュラソー・Curacao・カリブ海に浮かぶ島)やラ・グアイラ (La Guaira)、ホンジュラスのプエルト・コルテス(Puerto Cortés)、メキシコ湾を経てアメリカ本土のヒューストン、ニューオーリンズ、ジョージタウン(Georgetown・ワシントンD.C.)、ボストン、フィラデルフィア、ボルティモア、そしてカナダのモントリオールやハミルトン(Hamilton、オンタリオ州)などに荷を送りました。荷下ろしは中継基地とした港にまとめて行い、そこを起点に各地へトラックや鉄道などで運ばれていったと推測されます。

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★↑もう一つ、名古屋港を昭和26年10月12日に出港した英国籍のアンチロカース号の場合。アデン(イエメン)、ポートサイド(エジプト・スエズ運河の出入口)、ラゴス(ナイジェリア)、ポートハート、ワーリイ、アツラク、サベル、ビクトリア(セーシェル)、バザースト( Bathurst・オーストラリア)、タコラチ、アババ、ブツツ、カラバン(フィリピン)。南シナ海、インド洋、アラビア海、アデン湾を経てスエズ運河を超え地中海へと渡って行ったと思われる航路。

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★↑また、名古屋港を昭和26年10月16日に出港したバリ―号の場合。ホンコン、マルタ(地中海)、アデン、ジッダ(サウジアラビア)、アムステルダム、アントワープ、ロッテルダム、ゲーテボルグ、ストックホルム。南シナ海、インド洋、アラビア海、アデン湾を経てスエズ運河を超え地中海へ、そして、オランダ沖を通り、北欧へとたどった行ったコース。気の遠くなるような長い航海もあったのでしょう。また、アメリカの所で記述したように、荷下ろしは中継基地とする港でまとめて行い、そこを起点に各地へ運ばれてます。例えば、アデンの場合。先のアンチロカース号もバリ―号もこのアデンの町を経由しています。当時のアデンについて、陶業タイムスは次のように紹介しています。「◇自由港アデン。当港はアルコール飲料水、香水、タバコ、鉄砲火薬類等、数種の商品を除いて一切の商品に輸入税がかゝらず、全くの自由港です。日本からの商品も輸入割当はやっておりますが、綿糸布、雑貨、陶磁器等一切無税にて、完全に中継港としての機能を果たしています。エチオピア、ソマリランド、イエメン、サウヂ、アラビヤ等の背後市場への商品が当港商人の手を通じて流れていきます。港には入れ替わり立ち替わり十数隻の商船が見られ,殷賑を極めているようです」。(昭和25年4月21日号)

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*こうして、瀬戸を中心とする伊勢湾岸窯業地域の輸出品は世界の国々へ旅立っていきました。しかし、デザインやパターン(図柄)の盗用摸倣(意匠権侵害)問題、ダンピングや関税問題など深刻な課題をかかえての船出だったのです。

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(↑昭和26年7月30日発行「陶業タイムス」)

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