アーカイブ :2017年04月03日 瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

“これこそ、せともの”セトノベルティの魅力を紹介し、その技術継承に努める市民活動団体です。

瀬戸ノベルティ文化保存研究会 We are the Seto Novelty Culture Preservation Society, a citizens’organization in Seto City, Aichi Prefecture 、Japan◆瀬戸ノベルティに“最高の評価”!レース人形の最高峰・TK名古屋人形製陶所製「アン王女」が皇室に献上!★瀬戸から「ノベルティ」と「昭和の青春切符~集団就職の記録~」を『日本遺産』に!◆時を超えて香り立つ魅力・ノベルティこそ“瀬戸の華”!セト・ノベルティこそ「せともの」!【瀬戸ノベルティ倶楽部:The Seto Novelty Club〈office〉、Americans who love SETO NOVELTIES, your mail to us is deeply welcome. address :setonovelty_club@yahoo.jp】 写真などこのブログでの画像の無断使用は固くお断りします!

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瀬戸市発:「ノベルティ」と「集団就職の記録」を『日本遺産』に!

4月3日
☆桑田佳祐の軽快な歌に乗せてNHK朝の連続テレビ小説『ひょっこ』が今日から始まりました。

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*高度経済成長の頃、集団就職で東京へ働きに出る少女・谷田部みね子がヒロイン。ヒロインが住むのは茨城県北部の山懐のある農村。
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(↑電気炊飯器に驚きと喜びの表情を見せるヒロインとその母:いずれも4月3日放送のNHKテレビ画面から)

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(↑九州からの若者たちが集団就職により瀬戸市のノベルティ会社へ入社する時の風景・昭和30年代=当会の入手資料)

☆やきものの町・瀬戸市にはたくさんの若者たちが集団就職により働きにきていました。千余年のやきものの歴史を持つ瀬戸市にかつてない繁栄をもたらしたのは戦後の輸出産業で、その輸出産業を支えたのがこの集団就職でした。 

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(↑旧瀬戸市市民会館での歓迎式・昭和40年代初め=当会の入手資料)
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(↑旧瀬戸市市民会館:右側の四角の建物内のホールで集団就職で瀬戸へ来た若者たちの歓迎式が行われました↓)
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※この4月、博多の出版社「弦書房」から“集団就職”をテーマにしたノンフィクションが出版されます。当会もこの書に当会が独自に掘り起こした写真を提供しています。この近刊について同社のホームページを引用してご紹介させて頂きます。↓ 

『集団就職高度経済成長を支えた金の卵たち』
(※弦書房 今年4月刊行予定)

四六判/264頁/並製
978-4-86329-151-5
定価 2000円 (+税)
2017年4月発行

彼ら彼女たちの存在がなければ、戦後復興はなかった――昭和30年前後から昭和50年代前半にかけて、〈集団就職〉という社会現象が存在した。中学卒の少年少女たちがまさに出征兵士のごとく、東北から関東方面へ、九州・四国・沖縄から京阪神・中京方面へ、企業側の求人に応じて就職していった。彼ら彼女らの存在がなければ戦後復興も経済成長もなかった。本書では、〈集団就職〉の実態を、主に西日本域出身者たちへの聞き書きにより明らかにし、現代史の中で正当に評価しようと試みた。さらに、働くことの本質を集団就職体験者たちの言葉から問い直した力作。

著者:澤宮 優 (さわみや・ゆう)
1964(昭和39)年、熊本県生まれ。ノンフィクション作家。青山学院大学史学科卒、早稲田大学日本文学専修卒。『巨人軍最強の捕手』(晶文社)で第14回ミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。昭和の庶民史をテーマに幅広く執筆。主な著作に『昭和の仕事』(弦書房)『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』(原書房)『廃墟となった戦国名城』(河出書房新社)『「考古学エレジー」の唄が聞こえる――発掘にかけた青春哀歌』(東海教育研究所)『ひとを見抜く――伝説のスカウト河西俊雄の生涯』(河出書房新社)ほか多数。
※お問い合わせ :弦書房 〒810-0041 福岡市中央区大名2-2-43-301 TEL 092-726-9885  FAX 092-726-9886

☆以下、瀬戸市での集団就職について当ブログ3月19日掲載記事を再掲載してご紹介します。

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*工場が消えてスーパーに変わった大手総合陶磁器メーカー「三郷陶器」には“社内報”が発行されていました。当会はその社内報『THE SANGO』を収集しています。昭和35年の号には集団就職した若者たち(寮生)の姿が写されています。
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*この号によれば、この春に同社に入社した新入社員は全部で160人。大卒4名、高卒7名、中学卒は149名でした。
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(↑当時の入社試験風景:鹿児島県で行われました↓)
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(↑当時の入社風景↓)
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*昭和30年代、三郷陶器の場合のように、瀬戸ノベルティメーカーへの入社社員の大半が集団就職による中学卒業生でした。
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*集団就職による旅立ちの風景は地元鹿児島県の新聞にも掲載されていました。↓
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(↑旅立つふるさとの駅の光景:瀬戸に集団就職し、今も瀬戸市で暮らす人から当会への寄贈写真↓)
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(↑絵付け場で制服姿のまま仕事をする着任間もない頃の若者の写真=当会の入手写真)
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*寮生(集団就職して就職した若者たち)による社内座談会も社内報に掲載されました。こうした社内報は寮生の地元の職安や郷里の家族へも送られました。↓
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※町の埋もれてしまった瀬戸ノベルティをめぐる物語の掘り起し。地道な物語の再生が一番大切ではないか、そう当会は思っています。これらの写真は“陶都崩壊”が著しく進んでいた0年ほど前から当会が独自にこつこつと収拾してきた資料なのです。集団就職に関連する写真や資料をまとめて収集しているところは当会以外にほとんどありません。

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*↑「娘道中」です。当時、若い娘たちは瀬戸市役所から瀬戸公園(現在の陶祖公園)までこんないでたちで練り歩いたのだそうです。
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*↑集団就職した人の結婚式。寮生同士が結ばれることも少なくありませんでした。
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*↑深川神社での成人式の様子(鹿児島県出身の女性たち)

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*↑大手のノベルティメーカーは社員の福利厚生のために流行歌手を呼んで歌謡ショーを開きました。寮生のアルバムの中には当時の歌謡ショーの様子を写した写真がたくさん埋もれています。次はその一例で、「藤島恒夫ショー」の写真です。↓
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*↑寮生たちのアルバムに埋もれているスターたちの写真。スターへの憧れが寮生たちの日々の心を支えていました。

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*瀬戸市を含め、集団就職の人たちの青春は今も埋もれ続けています。瀬戸市の戦後は「集団就職の大きな恩恵」を受けてもたらされていました。しかし、こうした集団就職の記録と記憶の掘り起しは当会以外に瀬戸市の窯業界も瀬戸市行政も全く行っていません。今となってみれば非常に貴重な「昭和史発掘」になっていると自負しています。

※また当会は、この“集団就職”を文化庁所管の「日本遺産」として認定されるよう瀬戸市行政に精力的に提唱しています。以下のように、3月1日の当ブログにもその提案主旨を掲載しています。

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(↑寮生・集団就職した女性たち↓)
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*東京・大阪に並んで名古屋圏は紡績や輸出陶磁器業界を中心に“集団就職”が非常に盛んな土地柄でした。そして、当瀬戸市の輸出陶磁器業界への集団就職の記録の発掘を最も精力的に行っているのが当会であると自負しています。

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(↑瀬戸ノベルティ最大手メーカーだった丸利商会から当会が収拾した写真:集団就職生の入社風景)
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(↑出身地の郷土芸能を余興に披露する丸利商会のクリスマスパーティー:当会収集のアルバムから)
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*当会は、「瀬戸ノベルティと集団就職」を瀬戸市から『日本遺産』に申請登録することをすでに瀬戸市行政に提案しています。以下のような主旨と内容です。

★『日本遺産』登録認定申請への市民提案 (瀬戸ノベルティ文化保存研究会)
*瀬戸市の市民活動団体である「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」は、瀬戸市に対し、文化庁所管事業「日本遺産」の登録認定を受けられるよう、下記の案を具体的事例として提案します。
①『瀬戸へ行かんでどこへ行く
~昭和ニッポン“集団就職よ、ありがとう”インテリジェンス都市~』
②『世界の海を渡った“愛と祈りの造形”瀬戸ノベルティ
 ~やきものの華にして最も無名な日本最大級の“輸出せともの”~』
   
≪日本遺産≫
*「日本遺産」は文化庁所管新事業。地域の歴史や文化を国内外にアピールし、地域の活性化につなげる工夫と取り組みを2014年度から開始。次回の東京オリンピックが開催される2020年度までに順次100件を認定していくとのこと。残された枠の中で、どの自治体も今、地域興しの起爆剤としてこの「日本遺産」の登録獲得とそのための情報収集にしのぎを削っている。
*「日本遺産」の認定ポイント
・地域の有形無形の多様な資源や文化が知恵深く組み合わせられているか。
・ストーリー性があるか。
・コンセプトを的確に要約し、また体現した魅力的ネーミングであるか。
・地域振興の仕組みが用意されているか。地域振興のモデルになりうるか。

*当会からの提案理由とねらい
・現市長の公約の一つ「聞くこと第一主義」に応じる市民提案
・瀬戸市の知名度の飛躍的向上と発信力強化に向けた市民提案
・“官民協働の町づくり”へのインパクトある試みの模索

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(↑瀬戸市のあるやきもの職人が東京オリンピック開会式のテレビ放送画面を写した写真・昭和39年:当会収集写真)

①『瀬戸へ行かんでどこへ行く
~昭和ニッポン“集団就職よ、ありがとう”インテリジェンス都市~』 
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(↑瀬戸地区にあった大手輸出向け陶磁器メーカーへ中卒・15歳で就職した若者たちの記念写真)
 
[ほとんど検証されていない昭和日本の一大現象“集団就職”]
・戦後日本に復興と高度成長をもたらした要因のひとつが“集団就職”で、ものづくり王国・愛知県」の高度成長もこの集団就職なくして到底実現できなかった。やきもの製造を基幹産業とする陶都・瀬戸市は集団就職を積極的に採用した典型的な町である。
・地方から東京・大阪・名古屋という大都市圏へ集団移住を促した集団就職は「戦後ニッポン」という時代の枠組みでみれば、きわめて特異な一大現象であった。しかし、この集団就職について全国的にもほとんど満足な検証や調査がなされていない。
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(↑最盛期の陶都・瀬戸市、昭和38年:当会収集写真)
 
[やきものの町・瀬戸市への“集団就職”]
・当会が瀬戸市への集団就職について調査を始めたのは2005年の愛知万博の年、瀬戸の最大手輸出洋食器メーカーであったM社に鹿児島県から集団就職し、後に郷里に帰った女性たち30人ほどが万博見学を兼ねて瀬戸市を再訪した折のことだった。当時すでにM社の工場や寮のすべてが解体され、彼女らが青春を過ごした思い出は記憶の中にしか残されていなかった。瀬戸市の戦後が集団就職により支えられ、この集団就職なくして瀬戸の高度成長もなかったことを痛感したのはその折のことであった。

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(↑瀬戸の洋食器工場・トンネル窯の解体風景:当会撮影)

・当会は瀬戸への集団就職出身地として最も多かった鹿児島県に赴き、鹿児島県から瀬戸市や愛知県内へ集団就職した人たちや鹿児島県庁、地元の新聞社などを取材した。そこで入手した刊行物や当時の記事、旧国鉄職員や県職安の職員等への取材により瀬戸市や名古屋市への集団就職の実態を知ることができた。
・当時、ノベルティや洋食器を中心とする瀬戸の輸出向けやきもの生産は繁忙をきわめていた。「愛知県職業安定年報」昭和35年12月月報によると愛知県の就職充当率は0、7で、全国一の求人難であった。そこで瀬戸市など県下の製造業界はこぞって安定的に供給を仰ぐことのできる安価な労働力を求めた。そうした要請に応えたのが集団就職であった。

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(↑鹿児島県を夜行SL列車で旅立つ集団就職生:当会収集写真)

・瀬戸市への初めての集団就職は昭和31年4月1日のことである。3月30日朝8時36分西鹿児島駅始発の10両編成SL「あけぼの号」が集団就職列車の第一号であった。10両編成のうち4両に修学旅行生が乗り、残り6両に中学校新卒集団就職生が乗った。熊本県などからの途中乗車組も含め男女合わせて601名が翌3月31日に名古屋駅に降り立った。そのほとんどが愛知県内への就職で、瀬戸市へも30人がこの列車でやって来た。瀬戸の電磁器製造会社Y社と K美容院へ就職したのである。
・「愛知県職業安定年報」等によると、昭和39年3月に愛知県内に就職した新規中学卒業生は約5万8千人で、その中、3万8千人が県外からの出身者。昭和34年から昭和49年までの15年間に鹿児島県等の県外から瀬戸職安管内へ就職した中学校卒業生は約1万人にのぼった。
・鹿児島県職安関係者か当会に提供された情報によると、鹿児島県からの集団就職専用列車は東京オリンピックが開催された昭和39年の18便を頂点に、昭和49年の最終便まで246便、15万人近い若者たちを大阪や名古屋圏へ運んだ。瀬戸の最盛期はこうした鹿児島、宮崎、熊本など南九州出身者を中心にした若年労働力による集団就職によって支えられていたのである。

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(↑ノベルティの絵付け作業:当会収集写真)
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(↑ノベルティのレース人形メーカーで同郷の九州出身の先輩から教わる新入社員=昭和30年代)

[集団就職者の瀬戸市への貢献、その研究と顕彰の長き“不在”]
・15歳で瀬戸市に働きに来た集団就職の若者たちを瀬戸市は業界関係者とともに旧市民会館に招き、盛大に歓迎会を催した。しかし、円高等により繁栄の時代が過ぎ去ると、業界も行政もまた市民も集団就職のことは忘却していった。
・“団塊の世代”と重なる集団就職世代は、高度成長時代には“金の卵”とよばれる“光の中の群像”であった。しかし、今では、医療・介護・福祉・年金という社会保障面で次世代を重く圧迫する「お荷物世代」「負の世代」ともなっている。そうした一方で、集団就職体験者ならではの役割や出番が期待され、この群像ならではの地域社会での居場所や役割の掘り起しが多様に行われることも必要であはないかと当会は考える。

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(↑寮生の慰安旅行時のスナップ写真)

[集団就職は“生涯現役の町づくり”につながる陶都の魅力的無形資源]
・瀬戸市に於ける集団就職は陶都・瀬戸に特有の特徴を刻んできた。瀬戸市での集団就職体験者は高度で、かつ多様な窯業生産技術を身につけた人たちが多いのである。当会は集団就職体験者を陶都の魅力を体現する“選ばれた人達”と位置付け、集団就職体験者の持てる技能や感性がいま一度多様な形で瀬戸の町づくりに無理なく発揮されるような“場”の創出を期待したい。
・それは、陶都の繁栄に貢献してきた集団就職体験者に「この町には今も自分が誇り高く輝くことのできる居場所があるのだ」という実感を抱いて頂けることこそ、瀬戸市が“長寿時代の地域性豊かな町づくり”の一つの実践と言えるのではないかと考えるからである。
・具体的には、集団就職体験者に様々な作陶ジャンルでの実演披露に参加してもらったり、お客様に白生地への絵付け体験や多様な作陶ワークショップを楽しんでもらうような折の技術指導への参加を募りたい。また、市広報誌などを活用して市中に埋もれている集団就職についての手記や写真、思い出の品々等を募り、その記録集を発刊したり、写真展や作品展などを開催して集団就職を顕彰する機会としたい。さらに、集団就職者の出身地の物産展や郷土芸能祭等も試みて交流したらどうであろうか。

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(↑寮生の憩いのひととき↓)
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[“集団就職の顕彰”を瀬戸の町から全国へ]
・戦後日本の繁栄は“集団就職”なくしてはありえなかったが、集団就職体験者の高齢化が進み、多くが後期高齢者世代に至っており、集団就職に関する記憶や資料の掘り起しは時間との闘いともなっている。
・“過疎と集中”という人口の両極化が進む現代日本にあって、日本人の「ふるさと像」も大きな揺らぎの中にある。長寿時代の到来を迎え、少子高齢化が著しく進む現代社会にあって、私たちは、生地主義に立つ旧来の「ふるさと像」からどう脱皮し、どのように新しい「ふるさと像」を育んでいくことができるのであろうか。それは、ある意味で現代の地域社会に於ける町づくりの鍵であるとも言える。当会は、そのための一つの試みとして、「20世紀昭和」の顕著な「集団就職」をこの瀬戸市から検証(顕彰)し、その成果を町づくりに活かす先駆的都市として名乗りを挙げることを瀬戸市に期待する。そのことの一つの指標として当会は、瀬戸市が「日本遺産」への登録を申請したらどうかという提案をここに行いたい。
・当会は、これまでほとんど振り返られることのなかった集団就職を瀬戸市の知名度を上げるための一つのユニークな契機、また、賑わいの創出や“生涯現役の町づくり”につながる得難い魅力的人的資源基盤として改めて位置づけたい。そうして、集団就職を未開拓の町興し資源とし、また陶都の誇りの再生に資する貴重な個性的な町づくりに活かしていく取り組みを瀬戸市に具体的に提案するものである。

[瀬戸市を集団就職研究とその顕彰の拠点都市に育てよう]
・集団就職は瀬戸市のみならず、名古屋市や一宮市、蒲郡市や知多市や常滑市など愛知県諸都市が採用してきた行政的労働力集積システムでもあった。瀬戸市は、そうした諸都市と連動し、あるいは集団就職者を輩出してきた町、例えば鹿児島県の自治体などと共同して広域的に、また重層的にその顕彰を実践する方途も模索する必要性があるかもしれない。

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(↑瀬戸市の観光行政のかつてのキャッチフレーズ。背景の陶磁器工場も5月から解体されます。)

②『世界の海を渡った“愛と祈りの造形”瀬戸ノベルティ
~やきものの華にして最も無名な日本最大級の“輸出せともの”~』
*ノベルティ(陶磁製の置き物・飾り物)は、瀬戸をふるさととして生まれ、陶都千余年の歴史の中で集積されてきた窯業技術を駆使して戦後の瀬戸に最大の繁栄をもたらした“やきものの華”である。しかし、そのノベルティは世界の隅々へ送り届けられていった一方で、日本国内ではほとんど知られてはいない。
*ノベルティの歴史は100年余とまだ浅い。それは第一次世界大戦を契機として瀬戸の町に芽生え、根づき、太平洋戦争期の空白期を挟んで、敗戦による占領期に於ける制限付き貿易の時代を経て見事に復活し、戦後瀬戸の最大の生産物となってきた。瀬戸市はノベルティが生まれたふるさと、日本最大のノベルティ生産地であった。それは、ノベルティ生産に最適の世界一とも称される粘土と、倦むことなく物づくりに打ち込む職人気質に恵まれ、当会の調査によれば世界の80余か国へ輸出され、当会の所見によれば、輸出やきものとしては日本最大級のやきものであったと言える。瀬戸で生まれたノベルティは、名古屋、常滑、四日市、そして美濃焼地方が形成する「伊勢湾岸窯業圏」を特徴づける一大特産物に成長した。

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(↑日本郵船の輸送船:当会収集写真)
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(↑名古屋港からの積み込み風景:当会収集写真↓)
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*瀬戸で作られ、世界中へ輸出されてきたノベルティは、各国の暮らや文化、人々の心の中に深く溶け込み、生活を豊かに彩ってきた。俳優や歌手などの有名スター、歴史上の人物、糸巻きや針山、剃刀の捨て刃容器、メモスタンド、歯ブラシ立てや小物入れ、プランターや貯金箱、また口紅入れや香水スプレーなどの美装品、子どもや家族などのフィギュリン(人物像)、変わりポットやマグカップ、塩・胡椒入れなどの台所用品など用と美を兼ねたものからキリスト教信仰にまつわる様々な聖者や天使や儀式用品、ディズニーやコミックキャラクター、各地の名物や土産品、オルゴールや灯りランプ…など、ノベルティのアイテムは数えきれないほど、何千種類にも及ぶ。
*「せともの」という全国に通用するやきものの代名詞として栄えある称号を戴きながら今沈潜著しい陶都・瀬戸市。その窯業界に於いて、ノベルティは“これこそ・せともの”と言えるアイテムであった。しかし、戦後瀬戸の高度成長を担ったノベルティも円高による急激な衰退の一途をたどってきた。そうした中で、瀬戸市行政も窯業界もことごとく“瀬戸のアイデンティティ”とも言えるこのノベルティを過小評価し、当会の活動が始まるまで、ノベルティは忘却の中に置き去りにされたままの“幻のせともの”となってきた。

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(↑ノベルティの絵付け作業 : 鹿児島県などから集団就職で瀬戸へ働きに来た女性たち=ノベルティ会社で。↓)
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※私たちは、「ノベルティこそ瀬戸固有のやきものである」として2009年に「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」を設立。2011年にマチナカの活動拠点「瀬戸ノベルティ俱楽部」を設立、ノベルティを再評価し、文化的創造的に継承することを願う地道な活動を続けてきた。瀬戸ノベルティの特徴を物語る製品の収拾だけでなく、瀬戸ノベルティの歴史や製造実態を物語る資料や写真の掘り起こしや収集を精力的に続けてきた。そして、ノベルティ会社の解体現場を訪ね、振り返られることなく厚いホコリに埋もれる倉庫の奥深く分け入りながら、ノベルティを陶都窯業再生の糧とし、陶都の誇りの復活につなげたいと願う活動を続けてきた。
*やきものの中で瀬戸のノベルティほど個性的で比類のない多様性を持つやきものは日本に於いて他にない。瀬戸のノベルティが造型してきたものは「素晴らしい地球のいのち」、「人間の心の宇宙」、そして「愛と平和と共生への祈り」である。それは、古くて新しく、洋の東西を超える普遍的な人間と地球というテーマである。それゆえ瀬戸のノベルティは、最盛期を経て衰退の極みを迎えている今なおアメリカを中心とした輸出先で愛され続けていることが海外の研究者との交流の中からわかってきた。であれば、瀬戸ノベルティの中には陶都窯業の再生のみならず創造的継承の可能性につながる不朽のいのちを宿していると言える。
*さきごろ、瀬戸ノベルティの最高峰と評されるレース人形『アン王女』が皇族に献上された。瀬戸ノベルティへの最高の評価が下され、その名誉が回復された。それは、「文化としてのやきものの時代」の到来を確かに告げる一大慶事である。

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(↑皇族へ献上されたレース人形の最高峰『アン王女』)

人々が今、やきものに求めるものはこころの癒し、そして暮らしの潤いにつながる“文化”であろう。円高による衰退を機に瀬戸のノベルティにのしかかっていた“冬の時代”が去り、ノベルティが今また、比類ない光彩を取り戻して輝く再生の曙光を迎えている。
*ノベルティは、多様な人間文化が多様なカタチやイロドリとなって造形された知恵と技と感性の結晶体である。当会は、瀬戸をふるさとして際立った一大産業となり、世界の人々にこころと文化を送り届けてきたノベルティにこそ瀬戸のアイデンティティがあり、陶都再生の鍵があると考えている。しかし、そのノベルティの真の再生は、経済的なストレスによっても摩耗しない、高く個性的なデザイン性や製品の普遍的なコンセプトという課題の克服によってこそ実現するものであろう。
*日本各地のやきもの産業は今、著しい衰退の淵に沈んでいるかのようである。そうした中で、瀬戸のノベルティほど地域性豊かで、かつグローバルなやきものは日本では他に例をみない。世界中の人々にこころとやすらぎ、豊かなうるおいを送り届けてきたノベルティこそ、今の瀬戸で、また今の日本で、あらためてその価値と魅力と可能性とが見出されるべき目覚めの時を迎えており、ノベルティこそ窯業地の再生と振興のモデルになりうると当会は考える。

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(瀬戸ノベルティメーカーの最大手・丸利商会の最盛期の社員食堂:当会収集写真)

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(↑鹿児島県から集団就職し、今も瀬戸市に住む女性から当会に提供された写真↓)
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◆なお、当ブログでの掲載写真は無断使用を堅くお断りします。
◆この記事について、また当会の活動についてのお問い合わせは下記へお願いします。
 〒489-0814 瀬戸市末広町 3-16 「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」 (瀬戸ノベルティ倶楽部)
 <メール> setonovelty_club@yahoo.co.jp
 <携帯電話:> 090-6339-0791

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