『青銅の基督(キリスト)』が瀬戸・永泉教会で上映されました。
7月18日
☆昭和30年に公開され、瀬戸の粘土鉱山でクライマックスシーンの撮影が行なわれた映画『青銅の基督(キリスト)』が18日午後2時から瀬戸・永泉教会で上映されました。礼拝堂は満員の観客で埋まりました。
(↑18日午後、瀬戸・永泉教会↓)
*ステンドグラス超しに七色の光が注ぐ礼拝堂での上映会となりました。
*↑敬虔な信者・モニカ(香川京子)とその弟・吉三郎(石浜朗)
*↑モニカに恋する鋳物師・萩原裕佐(岡田英次)
*↑モニカとの恋が叶わぬために裕佐の代償愛の対象となる遊女・君香(山田五十鈴)、右奥は妹のお蝶・野添ひとみ
*↑転びバテレン・フェレラ(滝沢修)
*↑瀬戸の粘土鉱山で撮影が行われたクライマックスシーン↓
*長崎奉行はモニカや吉三郎など隠れ信者たちを強権で捕縛し、かれらに“踏み絵”を強いたのです。その踏み絵は鋳物師の裕佐が造った青銅製の踏み絵でした。↓
*この踏み絵の絵柄は映画では十字架上のキリスト礫刑像でした。 ↑
(↑当会所有の「ピエタ像」 :林幹夫原型)
*しかし、もともと長与善郎の原作では踏み絵は「青銅のピエタ」↑でした。
*↑ノベルティ会社や洋食器メーカーなどの従業員が多数エキストラ出演した公開処刑場面↓
↑粘土鉱山に大がかりなセットが組まれ、撮影は何日も続いたそうです。この陣屋の武士を演じたのは山形勲でした。↓
*↓その山形勲を瀬戸市で銭湯を営んでいた松原耕一さんが撮影していました。映画の撮影カメラマンと顔なじみになった松原さんはそのカメラマンからすぐ近くで撮影を見ることを許されていたのです。↓
*モニカは“転ばず”、踏み絵を踏まず、踏み絵に額づきました。↓
*モニカは火あぶりにされながら従容として死んでいきました。
*この鉱山は瀬戸窯業が最盛期にさしかかる頃撮影されました。瀬戸の粘土はノベルティ製造に最適な粘土であったこともあって瀬戸史上最大の経済的繁栄がノベルティ産業によってもたらされました。この映画の撮影の後、ノベルティ製造などのため大量に粘土が採掘されたため、この映画の中に記録されていた粘土鉱山の景観は大きく変貌しました。この映画を初めて見て、この映画がある意味で瀬戸の戦後史の貴重な証言記録ともなっていることを痛感しました。円高による陶都崩壊の第二の波が今、瀬戸の町中の深部で進んでいます。その姿を見つめ、陶都の崩壊の有様を記録しようとする人は当会以外にいるのでしょうか?「陶都の誇りが今、さらに大きく問われている…」、60年前のこの 映画はそのことを瀬戸の人たちに問いかけているような気がしてなりません。
☆昭和30年に公開され、瀬戸の粘土鉱山でクライマックスシーンの撮影が行なわれた映画『青銅の基督(キリスト)』が18日午後2時から瀬戸・永泉教会で上映されました。礼拝堂は満員の観客で埋まりました。
(↑18日午後、瀬戸・永泉教会↓)
*ステンドグラス超しに七色の光が注ぐ礼拝堂での上映会となりました。
*↑敬虔な信者・モニカ(香川京子)とその弟・吉三郎(石浜朗)
*↑モニカに恋する鋳物師・萩原裕佐(岡田英次)
*↑モニカとの恋が叶わぬために裕佐の代償愛の対象となる遊女・君香(山田五十鈴)、右奥は妹のお蝶・野添ひとみ
*↑転びバテレン・フェレラ(滝沢修)
*↑瀬戸の粘土鉱山で撮影が行われたクライマックスシーン↓
*長崎奉行はモニカや吉三郎など隠れ信者たちを強権で捕縛し、かれらに“踏み絵”を強いたのです。その踏み絵は鋳物師の裕佐が造った青銅製の踏み絵でした。↓
*この踏み絵の絵柄は映画では十字架上のキリスト礫刑像でした。 ↑
(↑当会所有の「ピエタ像」 :林幹夫原型)
*しかし、もともと長与善郎の原作では踏み絵は「青銅のピエタ」↑でした。
*↑ノベルティ会社や洋食器メーカーなどの従業員が多数エキストラ出演した公開処刑場面↓
↑粘土鉱山に大がかりなセットが組まれ、撮影は何日も続いたそうです。この陣屋の武士を演じたのは山形勲でした。↓
*↓その山形勲を瀬戸市で銭湯を営んでいた松原耕一さんが撮影していました。映画の撮影カメラマンと顔なじみになった松原さんはそのカメラマンからすぐ近くで撮影を見ることを許されていたのです。↓
*モニカは“転ばず”、踏み絵を踏まず、踏み絵に額づきました。↓
*モニカは火あぶりにされながら従容として死んでいきました。
*この鉱山は瀬戸窯業が最盛期にさしかかる頃撮影されました。瀬戸の粘土はノベルティ製造に最適な粘土であったこともあって瀬戸史上最大の経済的繁栄がノベルティ産業によってもたらされました。この映画の撮影の後、ノベルティ製造などのため大量に粘土が採掘されたため、この映画の中に記録されていた粘土鉱山の景観は大きく変貌しました。この映画を初めて見て、この映画がある意味で瀬戸の戦後史の貴重な証言記録ともなっていることを痛感しました。円高による陶都崩壊の第二の波が今、瀬戸の町中の深部で進んでいます。その姿を見つめ、陶都の崩壊の有様を記録しようとする人は当会以外にいるのでしょうか?「陶都の誇りが今、さらに大きく問われている…」、60年前のこの 映画はそのことを瀬戸の人たちに問いかけているような気がしてなりません。
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