アーカイブ :2013年10月 瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

“これこそ、せともの”セトノベルティの魅力を紹介し、その技術継承に努める市民活動団体です。

瀬戸ノベルティ文化保存研究会 We are the Seto Novelty Culture Preservation Society, a citizens’organization in Seto City, Aichi Prefecture 、Japan◆瀬戸ノベルティに“最高の評価”!レース人形の最高峰・TK名古屋人形製陶所製「アン王女」が皇室に献上!★瀬戸から「ノベルティ」と「昭和の青春切符~集団就職の記録~」を『日本遺産』に!◆時を超えて香り立つ魅力・ノベルティこそ“瀬戸の華”!セト・ノベルティこそ「せともの」!【瀬戸ノベルティ倶楽部:The Seto Novelty Club〈office〉、Americans who love SETO NOVELTIES, your mail to us is deeply welcome. address :setonovelty_club@yahoo.jp】 写真などこのブログでの画像の無断使用は固くお断りします!

2013年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2013年11月

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ノベルティ論考

☆当会は、2004年の結成以来、「瀬戸ノベルティを“封印”から解き放つ」活動と取り組んできました。
*2001年の『第1回ノベルティ・アーケードin末広』の初開催、おととしの『第2回ノベルティ・アーケードin末広』への在名古屋アメリカ領事館の第一回後援、昨年の『第3回ノベルティ・アーケードin末広』へのドイツ総領事館の後援、そして今回への在名古屋アメリカ領事館の第二回後援など、当会の活動は、グローバルな視野の中での取り組みへと飛躍をたどっています。
当会の活動は、当然のなりゆきで、ノベルティ最大の輸出国となってきたアメリカでも知られるようになり、今回の『ノベルティ・アーケードin末広』を後援してくださるアメリカの団体まで生まれています。当会は、そのアメリカで、『せとノベルティinアメリカ』を開催する計画を温めているのです。瀬戸ノベルティが、今、「内向き、下向き、後ろ向き」といわれてきた瀬戸気質を遥かに乗り超え、また、「模倣に過ぎない」と唾棄してきた偏狭な自己過小評価から、“封印”から解かれ、瀬戸ノベルティの埋もれてきた魅力と高い技術や感性への評価が甦りつつあるのです。

☆2012年9月2日の中日新聞サンデー版(世界と日本大図解シリーズ)『焼き物のふるさと』の衝撃!!   
新聞1フル-1
*9月2日の中日新聞サンデー版(世界と日本大図解シリーズ)『焼き物のふるさと』に瀬戸市民としては大変衝撃的な記事が掲載された。
やきもののふるさと-1
この記事は、やきものをとりまく状況ややきもの産地の現状を紹介したものだが、衝撃的なのは「陶磁器ブランドの認知度」のことで、全国の窯場の「認知度上位10位」のデータである。
認知度アップ-1
*上位10位を上から順に見ていく。…有田、九谷、益子、信楽、美濃、備前、萩、京焼・清水焼…。なんと、瀬戸は九位、下から二番目なのだ(最下位は唐津焼)。しも、このデータをとったのは、なんと瀬戸市。瀬戸市が2011年12月、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県在住の30~50歳台の女性のうち、過去1年間に陶磁器を5点以上、もしくは2000円以上購入した412人を対象に行なった調査によるデータだという。しかも圧倒的な生産量を誇ってきた瀬戸市を中心とする愛知県の出荷額は、東海3県では岐阜、三重に次ぐ3位、全国で見ても、九谷の石川、有田や唐津の佐賀県には遠く及ばず、出荷額全国一の岐阜県(美濃焼)の10分の1ほどだ。瀬戸に於ける窯業メーカーの相次ぐ廃業がこの数字となって端的に表れているのであろう。しかも、写真で構成されたこの記事の中で、ノベルティも含めて、瀬戸市の写真は一枚も掲載されていないのである。
荒川正明文-1
*また、解説記事を載せている学習院大学教授・荒川正明氏の一文↑にも、茶陶や什器の産地を代表する窯場として美濃焼が例示されており、瀬戸焼の地名はどこにも出ていない。
需要減-1
*この特集記事の中で、記者は、「陶磁器製飲食器の国内出荷は、数量、金額とも減り続けています。少子化、贈答用としての需要の減少による市場規模の縮小、安価な輸入品の流入などが要因として挙げられます」と書いている。海外事情に詳しい瀬戸ノベルティメーカーのある社主によれば、この陶磁器製品の需要の減少はひとり日本に限ったことではなく、世界的な傾向であるのだという。「需要がやきものという素材から木やガラス、プラスチックやレジンなど、多様な素材による製品へ拡散しているのが原因」だそうだ。陶磁器そのものから消費者が離れていくという傾向の中、認知度が最下位にまで成り下がってしまっているのであるならば、「陶都」と呼ばれ、やきものの代名詞となるほどの知名度を誇ってきたこの瀬戸市と私たち瀬戸市民は、一体、この冷厳な実態と現状をどう受け止めるのであろうか?
マップ-1
*市費を投じて調査を行ない、「知名度に於いて瀬戸市は10位中の最下位から数えて2番目」という哀れな事実を突きつけられた当の瀬戸市職員は、どのような思いに浸り、今その現実とどのように向き合っているであろうか?その職員は、瀬戸市には住まないで瀬戸市に通勤する「サラリーマン職員」であろうか?その職員は、今は別の部課へ異動し、「ああ、そんな調査もしたなあ…」と、その時のことを懐かしく思い出しているのあろうか?第一、瀬戸市長や瀬戸市議たちは、この惨めな結果をどう受けとめているのであろうか?この調査を前にした時、瀬戸市や窯業界が計画している「陶都800年祭」なるものが、瀬戸窯業の再生にとってはたしてどんな有効な糧をもたらしてくれるであろうか?
中部地方-1
認知度アップ-1
*もっとも、この中日新聞の企画記事では、瀬戸のノベルティについてはまったく触れられてはいない。担当記者も瀬戸にノベルティがあることを知らないのかもしれないし、ノベルティの大切さを知らないのかもしれない。そこに、当会がこれからも取り組んでいかなければならない課題がまだまだ多いことを痛感している。


☆瀬戸ノベルティを、ハコモノによるのではなく、「陶都・瀬戸のマチナかの宝」として「フィールドミュージアム」という形で守り、瀬戸ノベルティを“封印”から解き放つ活動を当会が続ける思い。
*瀬戸ノベルティは、デザイナーや原型師、絵付け職人や鋳込み師、石膏型製造業者や転写紙メーカー、九州などからの集団就職や新潟県などからの繁忙期の出稼ぎ、木綿(もくめん)や紙器などの梱包材製造メーカー、運送業社や内職仕事など、瀬戸窯業の特徴である分業制やその夥しい種類と量の受注を背景に、瀬戸の津々浦々、路地の隅々で作られ、瀬戸の戦後を彩った一大産業でした。しかし、瀬戸ノベルティは「模倣に過ぎない」とする瀬戸人の後ろ向き意識や偏狭な自己過小評価が災いして、瀬戸の歴史からすっぽりと抜け落ち、行政もまた、瀬戸ノベルティの実態を詳細に調査研究することをほとんど行なうことなく看過してきたことが大きく手伝って、「瀬戸ノベルティなど、まるで瀬戸の歴史にはなかったのだ…」とするが如く“封印”されてきました。

☆思い出して下さい!工場で、内職で、町の隅々で、ノベル-ティが作られていたことを…。集団就職の若者たちが、故郷に仕送りを続けながら懸命にノベルティを作り、アメリカなど世界中に輸出していたことを。私たちは、瀬戸ノベルティを眠らせない!
*瀬戸戦後最大のやきもの産業であったノベルティこそ“せとものの華”、ノベルティこそ“陶都の誇り”なのです。しかし、瀬戸の近現代史を歪めるような意思がノベルティの産業と文化を“封印”し、また、行政の「陶都への愛の欠如」に加え、「産業実態から歴史的事実と町の誇りを学ぼうとしない無作為の罪」もあって、瀬戸ノベルティが「瀬戸の歴史から無かったこととされてきたこと」が当会の研究によりわかりました。いま、私たちは、その瀬戸ノベルティをそうした恣意的な“封印”から解き放とうとしています。
私たち「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」は、瀬戸ノベルティを眠らせません!
私たちは一貫して変節しない“瀬戸のフィールドミュージアム実践体”であり、愛知製陶所に設けている「芸術家横丁」活動から11年に及ぶ活動を今へと続けています。
○末広商店街の拠点施設・「瀬戸ノベルティ倶楽部」(定休日・火曜日、9月1日から9日の「ノベルティアーケード」期間中は開館)
(℡)090-6339-0791  (メール)setonovelty-club@yahoo.co.jp

★「灯台下暗し」を決め込んでいるうちに…(2012年)
*アメリカに輸出されていた丸山陶器製などの瀬戸ノベルティを、今、県外の業者等が買い戻し(逆輸入)、「瀬戸マイセンの里帰り品」として骨董市で販売、それを市外等の愛好家や骨董業者等が高価で買い取っている。今や瀬戸ノベルティは、瀬戸の人々の手を離れたところで、高額な希少品として商取引の的になっているのだ。
実は、かつて、美濃や四日市の他、常滑市でも小規模ながらノベルティが製造されてきた。有田では今、和風な磁器製人形が製造されており、海外に大好評だという。瀬戸の人々が意識的にせよ、また無意識的にせよ、ノベルティのよさについて「灯台下暗し」を決め込んでいるうちに、瀬戸ノベルティが、骨董商や好事家などの金儲けのよい糧になっているのだ。私たちは何とも口惜しくも複雑な思いを禁じ得ないでいる。

*2011年9月3日、「瀬戸ノベルティ倶楽部」を末広町商店街に開設して以来、当館においでくださったたくさんのノベルティ製造関係者やノベルティを愛するお客様たちと深く語り合って確信したことは次のようなことである。
①<瀬戸にノベルティが栄えた理由>
(1)世界一とも言われる「木節(きぶし)粘土」が瀬戸の地に恵まれ、その「木節粘土」が粘性としなやかな強靭性、そして、多様で精緻な成型を可能にする優れた可塑性という特長を有していること。
(2)瀬戸は、「寝こなし(寝る間も惜しまず)」でよい製品を根気よく作る職人魂を持つ人々が多くおり、また、分業による専門性のきわだった幾多の町工場が裾野に形成されていて製造を担ってきたこと。

②<瀬戸ノベルティが衰退した理由>
(1)画家・利根山光人氏が昭和37年の「朝日ジャーナル」誌でルポ(別記)したように、瀬戸ノベルティの生産が“イミテーション”に終始し、オリジナルなデザイン力を重視してこなかったこと。
(2)ノベルティメーカーは、ノベルティの発注者であるバイヤー(サプライヤー)から仕事を有利に受注するため、ライバルの同業者に対して秘密の高い壁を築き、ノベルティメーカー間で情報を共有化するなどの業者間の配慮を図ることが少なかったために、いつも従属的な立場に甘んじてきたこと。そのことが、商取引に於いては、ノベルティメーカーがバイヤー(サプライヤー)に対して対等な関係を築くことができなかったこと。
…②の(1)(2)は、元県芸大教授のSM氏が指摘する忌憚のない直言である。

☆戦後復興から高度成長、そして円高による(瀬戸窯業などの)労働集約的産業の目に余る衰退…。自立的施策ではなく、相も変わらないコンサル頼み一辺倒の「自力更生放棄」…。ジャーナリスト・柳田邦男氏の『日本は燃えているか』の指摘は停滞する“陶都”の行政に対しての“目覚まし時計”である、と当会は受けとめたい。(2012年)

*「やきものの瀬戸って、どこですか?」「“瀬戸”って、瀬戸内の瀬戸ですか?」。
全国的に知名度の全く低い愛知県瀬戸市。この画期的な瀬戸ノベルティのカレンダーは、全国販売によって「やきものの瀬戸」と「瀬戸オンリーワンのノベルティ」の知名度を飛躍的にアップする素晴らしい機会となります。このカレンダーは、市政クラブの各社の棚に「広報資料を投げ込む」ことを「情報提供」とする「上から目線」の広報姿勢、それ以上のことは「広報の公平性を欠く」として「必要以上な広報はしない」という、どこかの市の広報姿勢とは次元を全く異にするものです。
*当会は、このカレンダー製作を“天恵”とも言うべき千載一隅の好機と受けとめています。多額の公金を投じてコンサルを有り難く雇い、それが、どこか他の地での成功体験の応用がほとんどであるようなことを見抜けないような、誠に脇の甘い安易な姿勢であり、他力本願に頼り続ける当地の自治体。最大限に自力自助の汗と知恵を絞ろうとするスタッフのきわめて少ないことがこの「陶都の大きな不幸」なのでしょう。
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(↑当会がノベルティ会社の倉庫から掘り起こした昭和30年代のノベルティ)
☆陶都の戦後復興を支え、繁栄と高度成長の基盤となった洋食器やノベルティの輸出。その土壌を築いた1ドル360円の固定相場制が確立したのが1949年(昭和24年)。その泰平に冷や水を浴びせかけ、一人勝ちの日本経済に対するいわば“真珠湾攻撃”となった1971年夏の『ニクソン・ショック』から今年で満40年になりました。
固定相場制から変動相場制への移行によって引き起こされた円高高騰の衝撃、現代史のその顛末をグローバルな視点と卓越した取材構成力によって「円崩壊ドキュメントの内幕」を綴ったジャーナリスト柳田邦男氏の『日本は燃えているか』(講談社・1983年刊)。
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この書の中に次のような一文があります。
「…歴史的には、ニクソン・ショックはその“目覚まし時計”だったともいえる。…<離れて自らの国を見る>、この視点が欠落していることによって、日本は明治の開国以来、国際社会の中で、幾度となく奇怪な行動をとり、自らに混乱と損失をもたらしてきた。日本は貿易によって立国しているにもかかわらず、大方の日本人は、国際社会でのあるべき姿について、グローバルな視点に立って考えることができず、国内の利害関係ばかりを判断の基準にしてきたのだ」。当会はこの一文を次のように読み替えてみる。
「歴史的には、ニクソン・ショックは『陶都・瀬戸』の“目覚まし時計”だったともいえる。…<離れて自らの町を見る>、この視点が欠落していることによって、瀬戸は…国際社会の中で、幾度となく奇怪な行動をとり、自らに混乱と損失をもたらしてきた。瀬戸は貿易によって成り立ってきたにもかかわらず、大方の瀬戸人(行政や業界)は、国際社会でのあるべき姿について、グローバルな視点に立って考えることができず、町内や業界内の利害関係ばかりを判断の基準にしてきたのだ」。(P81、90)

*崩壊の一途をたどっているようにみえてならない瀬戸窯業の衰退。そうした末期的事態の中で、陶都窯業の再生と振興を命題とした「地場産業振興ビジョン」なるものをコンサルタントに策定させ、、いきなり“陶祖なる虚構”を持ち出すような“奇怪”。陶都のやきもの産業を産業課と文化課とに縄張り分割してやきもの産業の中に垣根を持ち込むという縦割り行政。陶都のやきもの産業を今後どうするのかという「陶都のビジョン」に存在感をほとんど打ち出すことのできないかのような首長。その不在と停滞をこれ幸いと惰眠をむさぼっているようなスタッフはいないだろうか?
*当会は、崩壊に向かっているかのような瀬戸窯業の現状を前に、柳田邦男著『日本は燃えているか』に加え、昭和25年に瀬戸市当局が巨費を投じて昭和25年当時の瀬戸窯業の実態と陶都の将来像に向けた課題についてまとめた『瀬戸市振興に関する調査報告』(東京市政調査会編、昭和25年瀬戸市発行)に注目しています。この報告書は、瀬戸市が「市議会の協賛を得て、市制施行20周年記念事業の一つとして」思い立ち、本邦唯一の市政調査機関にして、日本都市連盟の事務局たる財団法人東京市政調査会に調査研究を委託した」ものであった。この第二部「瀬戸窯業の実態及び振興に関する事項の調査」の第三章「瀬戸窯業の振興策」の中で、調査報告書は、60年前の瀬戸の業界と行政の課題が60年後の現在に至るまでほとんど改善されることなく、この間に於ける2世代の交代を経てもなお、瀬戸の風土気質的な課題が置き去りにされたまま今の現状を迎えていることを痛感させるものなのです。
*当会は、この報告書を読んで、<瀬戸窯業衰退の原因>について思い巡らし、<瀬戸窯業衰退の原因>は円高という外的要因が100パーセントではない、と考えるに至っています。当会は、<瀬戸窯業衰退の原因>は、円高という外的要因が50パーセントであり、「町内や業界内の利害関係ばかりを判断の基準にしてきた」という瀬戸の気質土壌に巣食う内部構造の問題に50パーセントの原因がある、との結論に達しています。いずれ、このことは当会の活動の中で公に問いかけていくつもりですが、瀬戸市の職員スタッフとして、首長や副市長、部課長や市議たちの中で、この瀬戸市が昭和25年に行った『瀬戸市窯業の振興に関する調査報告』について知っている人は一人でもいるのでしょうか?職員スタッフとして、このやきものの町に愛情や敬意の片鱗すら抱いていないようなコンサルに頼るより、かつて瀬戸市当局が行なった報告書を精読する方がどれほど有意義であるかを当会は職員スタッフに問いかけたいと思っています。

■瀬戸ノベルティ文化保存研究会は、“瀬戸の華・ノベルティ”の保存と創造的継承に正面から取り組む会です

「瀬戸ノベルティ(セト・ノベルティ)」とは…

「ノベルティ」といえば、もともと『珍しい事象や物』を意味し、一般的には広告媒体・景品広告として使われる商品のことをさしますが、陶磁器業界でノベルティは、人形や鳥、動物など『鋳込み成型』によるやきもの製の置物や飾り物のことを言います。
やきもの製のノベルティは、百余年前の明治期、「陶都」と呼ばれてきた愛知県瀬戸市で、欧米から渡来した石膏型による鋳込み製法が改良・実用化され、ヨーロッパのノベルティ製品を手本として生み出されました。そして瀬戸の人々は、倦むことのない研鑽努力を重ねて製造技術を改良し、第一次世界大戦と第二次世界大戦を二つの大きな契機として、「メード・イン・瀬戸」のノベルティを世界中に輸出してきました。
名古屋港-1
(セト・ノベルティを世界中に送り出してきた名古屋港・1980年代半ば)

ノベルティは、名古屋市の北区や東区でも絵付け加工完成が施され、名古屋港から海を渡って戦後の瀬戸と名古屋の繁栄に大きく貢献してきたのです。ノベルティは洋食器や繊維製品とともに、「トヨタ以前」の名古屋経済圏に於いて花形産業だったのです。
しかし、そのほとんどが輸出品であったため、円高やアジアの国々からの追い上げなどにより、今、そのすぐれた文化と高い技術の継承が危ぶまれる状況に置かれています。
「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」は、“瀬戸がオンリー・ワン”と言えるこのノベルティの文化と技術の継承、瀬戸窯業の活性化を願い、2008年に結成された民間団体です。
どうか、当会の願いと瀬戸窯業に温かいご支援をお願い致します。(瀬戸ノベルティ文化保存研究会)
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  (「瀬陶工」発刊の加盟社製品カタログより)

■瀬戸市は「ノベルティ発祥の地」~第一次世界大戦と瀬戸市~
★瀬戸市でノベルティが作られてきた経緯―。
“せともの”の名で知られる愛知県瀬戸市は、日本に於ける「ノベルティ発祥の地」で、ノベルティの製造を最初に成功させた会社(「丸山陶器」)に於いて工業的生産システムが確立してから100年ほどになります。ノベルティは、あらゆる造型が可能な良質の粘土に恵まれた瀬戸の地で生まれ、本物と見まがうばかりの卓越した造型や絵付け、焼成技術など、1300年を刻む伝統窯業の歴史の中で培われてきたありとあらゆる技術を駆使して作られてきたもので、全国でも他の窯業地には見られないやきものとして、戦前戦後の瀬戸市に大きな繁栄をもたらしてきました。

「ノベルティ」は、18世紀、ドイツのマイセンで磁器の彫像が作られたことに始まるといわれています。以来、ドイツのマイセンやドレスデンなどの窯業地では、磁器人形の生産が行われ、新興国のアメリカに向けて、ヨーロッパへの郷愁、特に中世ヨーロッパ文化への憧れをかきたてるような衣装をまとった王侯貴族の男女にモチーフをとった人形や欧米の生物・文物をやきものの置物(飾り物)として作り上げ、アメリカへの輸出が行なわれていました。そうしたドイツ製のノベルティは、当時、相当高価なものでしたが、パイオニア時代のアメリカ人のロマンティシズムを刺激し、アメリカの中流層のステイタス形成やライフスタイルを彩る人気アイテムとなっていきました。

ところが第一次世界大戦が起こると、ドイツからアメリカへのノベルティ供給が途絶えました。その頃、ニューヨークに「森村ブラザーズ」と言う日本人が経営する会社がありました。「森村ブラザーズ」は、「森村組」という陶磁器を主として輸出する日本商社のニューヨーク支店にあたる会社でした。「森村ブラザーズ」は、現地・ニューヨークでは最古の邦人商社であり、名古屋の「日本陶器」(現在の「ノリタケ」)という兄弟会社が作った花瓶や食器類を盛んに輸入していました。
「森村ブラザーズ」は、アメリカの中流市民層のノベルティに寄せる高い購買欲(ニーズ)に目をつけ、ドイツ製のノベルティより安い値段でよいノベルティを供給しようと、日本でノベルティを作ることを企図しました。
「森村ブラザーズ」の親会社である「森村組」は、ノベルティの生産基地として瀬戸市に白羽の矢を立てました。それは、瀬戸市が、良質な粘土のみならず、優れた職人や安価な労働力に恵まれ、古くからやきものの生産体制が確立しており、輸出基地としての名古屋港にも近いという立地にあったからでした。そして、「森村組」の意を受けた瀬戸の製陶会社(後の「丸山陶器」)が高い造形力を持つ優れた職人を養成、欧米伝来の石膏型鋳込み製法を改良して実用化し、幾多の失敗と困難を乗り越えた苦闘の後に、今からおよそ100年前、生地作りから焼成・仕上げに至るまでの工業的生産システムを作り上げました。そして、各企業が、高級品を含むノベルティの大量生産に乗り出し、本格的なアメリカへの輸出が行なわれていったのです。
粘土山1-1
  (瀬戸の粘土は、素直で質がよく、扱いやすいため、
   日本中の窯業地へ売られています)
粘土山2-1

■瀬戸ノベルティは“瀬戸の華”、“モノづくり日本”の象徴
瀬戸ノベルティは、欧米向けを中心とする輸出品であったため、欧米人の注文に従って作ることを求められてきました。瀬戸の人々にとって、ノベルティを製造する作業は、苦難に満ちたものでした。
ノベルティは日本人にとっては「異文化」であり、日本とは大きく異なる風俗習慣や宗教などを背景とする製品であるため、瀬戸の人々は、種々の参考品や書物を研究しながら製造法に改良と工夫を重ね、製品の文化的背景まで理解する努力を重ねました。
そして、最高度の製造技術を創出しながら、すぐれた手の技、飽くことのない研究心と豊かな想像力、倦むことのない根気と試行錯誤という、日本人の手仕事の極致とも言える精緻な作業によってバイヤーからの高い要求に応えていきました。
その結果、瀬戸市のノベルティは、全国の数ある窯業地の中で“瀬戸がオンリー・ワン”とも言える特筆すべきアイテムとして、まさに“瀬戸の華” としての位置を占めるに至ったのです。そして、瀬戸ノベルティは、欧米渡来の文化文物を自家薬籠中のものにまで日本化することで発展を遂げてきた“モノづくり日本”の一つの典型とも言えるやきものとなってきたのです。
最盛期のノベルティ工場-1
         (最盛期のころのノベルティ工場)

■名古屋市の一部でも作られてきたノベルティ
 ノベルティの輸出拠点となってきたのが、瀬戸市と至便の距離にある名古屋市でした。
名古屋市には、財団法人「名古屋陶磁器会館」や「日本陶磁器意匠センター」など、ノベルティの生産と輸出とを統合調整する基幹団体もあるため、名古屋市はノベルティを輸出する中継拠点となってきました。
瀬戸市は、この名古屋市と、完成品陶磁器の生産地としてだけでなく、白生地の供給地としても深く関わってきました。瀬戸市で作られた白生地(絵付けを施されて完成する前の“半製品”)は、瀬戸市からとその東部に位置する東濃地方の窯業地からのアクセスが交叉する名古屋市の東区や北区を中心とするエリアに運ばれ、そこで絵付け加工が施されて名古屋港から世界に輸出されてきたのです。
ノベルティなど瀬戸市の陶磁器産業は、このように名古屋市との深い係わり合いの中で生成発展してきました。しかし、瀬戸市のノベルティと同じように、円高などによる極度の輸出不振により、名古屋市でのベルティ生産もまた輸出も皆無に至ったといえるような状況にあります。

■第二次世界大戦と瀬戸市のノベルティ産業
第二次世界大戦後、瀬戸市はノベルティや洋食器産業の再興復活により、戦後復興と高度成長への歩みを進めていきました。
1947年に制限付き貿易が再開されると、アメリカのバイヤーたちが瀬戸に押し寄せ、
ノベルティの生産が再開されました。この時期、輸出製品には、“Occupied Japan”という刻印をしるすことが求められました。この制限付き貿易が解除されると、ノベルティの創業社から派生していった会社のほか、様々な会社が競ってノベルティの生産を行ないました。この時期はアメリカで中産階級層が形成されていく過程にあり、瀬戸のノベルティは、そうした中産階級層の人気商品となっていたのです。
瀬戸のノベルティは、戦前は主にアメリカ向けでしたが、戦後になると、輸出先はヨーロッパ各国やカナダ、南米、中近東にも及び、瀬戸のノベルティメーカーも300社近くに膨れ上がりました。
しかし、その後、ノベルティに対する関税の引き上げ、第一次・第二次ドルショック、オイルショック、更には、1985年のプラザ合意による急激な円高の影響を受けて、ノベルティ生産は大きく後退し、ノベルティの輸出は皆無となりました。瀬戸のノベルティ業者は、今、20社にも満たない数にまで減っているのです。

■「瀬戸ノベルティ」の生産工程
ノベルティは、「鋳込み成型」という大量生産方式の複雑な製造工程を経て作られます。調合された泥状の粘土を「鋳込み型」に流し込んで複数の白生地(しろきじ・白素地)を作り、それに一つ一つ絵付けを施して焼き上げ、完成させる方法です。
生産工程は次のとおりです。(以下、掲載写真は瀬陶工刊「the products of seto」シリーズより)

①デザイナーが製品の原画デザイン(二次元イメージ)を描く。(輸出を主体としてきた瀬戸ノベルティの場合、バイヤーが持ち込むデザインや見本品が原画となる)
②それをもとに原型師(modeler)と呼ばれる職人が、粘土や石膏を用いて原型(model、三次元の立体)に造型する。原型は、複雑な製品の場合、製造効率を考えながら、例えば、動物などの場合には手や足、尻尾や羽など、人形の場合には頭、手、胴、足など数個から数十個にものぼるパーツごとに分解して造型する。
原型製作①女-1原型製作②男-1

③原型から石膏型を起こす。石膏型には3種類ある。サンプルとしての見本の試作品を作るための「見本型」、試作品製作によって製品化が確定した場合に作る「元型」(「ケース型」とも言い、製造を終わる時まで大切に保存する堅固なオリジナルの型)、実際に製品を一つ一つ作るための「使用型」、の3種類である。
④「使用型」に調合された泥状の粘土を流し込んで生地(きじ・素地)を成型する(「鋳込み成型」)。吸水性のある石膏が余分な水分を吸収するので、適度の肉厚になるまで放置し、余分な泥状の粘土を排出して生地を作る。(「使用型」は、通常30個から50個程度を鋳込むと内部に目詰まりや磨耗が生じ、製品の形の細部<ディテール>が不明瞭になったりして不良品が出る。その段階で、その都度、その「使用型」を廃棄し、「元型」から新しい「使用型」を作り、その「使用型」を用いて、必要な個数の白生地を鋳込む。)
鋳込み-1鋳込み2-1
⑤「使用型」を開き、中から生地を取り出す。複雑な製品の場合、数個から数十個のパーツをそれぞれの型から取り出し、見本どおりに正しく丁寧に接着して組み立てる。
型はがし-1生地仕上げ1-1
⑥生地を適度に乾燥させる。
⑦生地を窯(今は主にガス窯)に入れて焼成する(「素焼き」)。
焼成2-1
⑧焼き上がったら冷却時間を置いた後、窯から取り出す(「窯出し」)。
⑨絵付け(彩飾・加飾)したり、釉薬(うわぐすり)を施したりする。
絵付け1-1絵付け?-1吹きつけ-1

⑩その後、再び窯で焼く。製品によっては、さらにもう一度、彩色などを施してから、窯(主に電気窯)で焼く。
馬の焼成-1鹿の焼成-1
馬1フル-1  馬顔タイト横-1馬足アップ-1  馬顔アップ横-1

■瀬戸ノベルティの数々
★当会は、2010年秋、せとものまつりに合わせ、末広町商店街との共催により「第二回ノベルティアーケードin末広」を開催しました。その目玉企画が日米修好通商条約批准150年記念の特別企画展『ノベルティ・ほほえみの親善大使~瀬戸に残されたアメリカの文化~』。この特別企画展が名古屋のアメリカ領事館から後援を頂きました。このイベントでは、アメリカの市民文化形成に脇役として重要な役割を果たしてきた瀬戸ノベルティの数々を展示紹介しました。

★瀬戸で「古代人形」と言われるノベルティ
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(瀬戸で「古代人形」と呼ばれているノベルティ。
ヨーロッパ中世の王侯貴族の衣裳や習俗文化にモチーフをとったノベルティです。)
男女音楽-1
女と男長身フル-1
女顔アップ横-1
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(↑瀬陶工「the products of seto (1987年刊)」より)

★瀬戸ノベルティに格別な位置を占める人気のノーマン・ロックウェル
(Norman Rockwell,1894-1978)

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「私は、みんなの心の中にあるのに、誰も気づいていない、そんなアメリカを描いて見せた…」。ノーマン・ロックウェルの残した言葉です。「アメリカで一番有名な画家・イラストレーター・アートディレクター」と言えば誰もが思い起こすというノーマン・ロックウェル。小さな田舎町での生活、家族と過ごすひととき、裸足の少年たち、祭日の光景、そして、また、リンドバーグの大西洋横断飛行からアポロ11号の月面着陸まで、何気ない日常の光景から20世紀の歴史的事件に至るまでを描いたユニークな画家がノーマン・ロックウェルです。ノーマン・ロックウェルは、雑誌の表紙絵や本の挿絵、商業広告やカレンダー、ポスターなど様々な媒体に作品を発表、70年に亘る画業の中で4000点近い作品を残しているそうです。その人気の秘密は、彼が一貫して、アメリカとアメリカ人の姿を通して“アメリカ的なるもの”“懐かしきアメリカ”“理想のアメリカ”を主題にしたところにあると言われています。「現代アメリカの記録者」と言われるノーマン・ロックウェルは、内外に“アメリカ的イメージ”を形成するのに最も大きく貢献したマルチアーティストなのです。(1997年~1998年、日本で開催された「ノーマン・ロックウェル展」の図録より)
ロックウェル2-1
このノーマン・ロックウェルの作品にモチーフをとったノベルティが多くのアメリカ人の心を捉えてきました。

以下は、このノーマン・ロックウェルの絵画にモチーフを取り、原型師だった林幹雄氏=現日展会員=がノベルティとして造型した白生地の作品で、当会に寄贈されたものです。)
Nロックウェル2-1-1(“Thanksgiving”と題された作品。幅30cm、高さ23cm、奥行き26cm)
夫婦タイト-1
Nロックウェル2-2-1
妻-1-1
妻の手元-1
妻の顔-1
夫-1
夫の下半身-1
夫の顔-1
夫婦の背後-1 林さんフル-1 (林幹雄さん )
林さんによれば、この2体の白生地作品が製品化されて実際に販売されたかどうかはわからないそうです。
この2体の白生地作品は、2010年秋、恒例の「せとものまつり」を中心に瀬戸市の末広町商店街で開催した『第2回ノベルティ・アーケードin末広』(9月4日~9月12日)に於いて、企画展《ノベルティ・ほほえみの親善大使~瀬戸とアメリカの絆~》で展示させて頂きました。
駅の親子・斜めフル-1
Nロックウェル1-1-1
Nロックウェル1-2-1
(林幹雄氏=現日展会員・日展審査員=から当会へ2010年に寄贈された作品です)

(懐かしさを誘うノベルティです)
懐かしい馬車老夫婦-1(瀬陶工「the products of seto (1987年刊)」より)
老人ろ犬サイドショット6-1-1
爺さんと娘-1
幼子-1
爺さんと娘タイト-1

馬車タイト-2
   型屋さんから当会に寄贈された二頭立て馬車

          ノベルティ5-1
                      美しい瀬戸のノベルティ(当会会員の所蔵品)

車のベッティーちゃん-1
 (当会に寄贈された懐かしいキャラクターのノベルティ)

■「今や世界に誇れる日本の美」となっている瀬戸の「あかりノベルティ」。
当会は、この瀬戸の「あかりノベルティ」のニューヨーク展示を夢見ています。

あかりマス1-1
(磁器は透光性を持っています。瀬戸のノベルティには、この光を使用した「あかりのノベルティ」があります。
 釉薬や色の絵付けを施さない白い生地のノベルティの中に小さな電球を仕込むと、中からのその光を透かした
 ノベルティの美しい形が浮かびあがるのです。陰影を好み、生活の隅々に間接照明を楽しんできた日本的な感
性が「あかりのノベルティ」に宿っています。影を排除するLED全盛の今、このような「あかりのノベルティ」 
 が、半世紀も前から瀬戸市で作られていたことは大きな驚きです。)
あかり2-1
あかり3-1
あかり4-1
ビル・白-1 ビル・夜あかり-1
                                   (あかりのノベルティ)
ビル・白タイト-1ビル・夜あかり・タイト-1

瀬戸ノベルティについては、素晴らしい技術によって作られてきたにもかかわらず、まだ一世紀ほどの浅い歴史しかないため、その歩みがまだ歴史の範疇に入っていないとの思い込みからか、その客観的な研究(技術的・文化史的・国際交流史的研究)は十分に行なわれてきませんでした。また、「異文化交流・多文化共生」が喧伝されている瀬戸の町で、「異文化交流・多文化共生の結晶体ともいえるノベルティ」の研究が十分になされていないことが誠に残念なのです。
瀬戸市の窯業は、今、度重なる円高や中国などからの追い上げ、職人の高齢化などにより衰退の一途をたどり、「陶都」とは言い難いほどの停滞と沈潜の中にあります。特に、輸出に頼ってきた「メイド・イン・瀬戸」のノベルティは、この20年余の諸環境の激変に晒されて、今、消滅の淵にまで追い込まれているのです。
こうした状況を前に、私たちは、2007年秋、「瀬戸のノベルティをテーマとする初めての研究会」として、陶磁器会社の経営者、原型師、絵付師、大学教員、会社員、商店主、主婦など、さまざまな立場の人たちが寄り集まって「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」を結成しました。
「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」は、ノベルティの素晴らしさを再発見し、ノベルティのすぐれた製品や貴重な関連資料を保存し、その活用方法を探りながら、その高度な生産技術とすぐれた職人の技、ノベルティづくりのこころの継承を願ってささやかな活動を続けている市民団体です。「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」に集うのは、ノベルティを一つの手がかりとして、瀬戸窯業の再生と活性化への糧を文化的・産業的に模索する中でこれからの瀬戸の町のありようを考え、私たちなりの方法でそのための種子を蒔いていこうと願う人たちです。
「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」は、営利目的の私的団体ではありません。“やきもの文化の華”とも言えるノベルティの保存・再生・継承のための活動を通して町づくりの活性化に参加するなど、地域社会に貢献することを目指す公益団体です。この精神が認められて、2008年、2009年、そして今年2010年の3年間にわたり、瀬戸市から市民活動促進助成金の交付を受けています。

★「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」の会員

現在、およそ20名で、製陶業者経営、元製陶会社デザイナー、商店経営者、陶芸家、公務員人、主婦、大学教員、会社員など瀬戸市内外に住む人たち。

★「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」の目的

*ノベルティを“瀬戸市のアイデンティティ”と位置づけ、その存在と素晴らしい魅力とを瀬戸市内外の多くの人々に知って頂くこと。

*ノベルティを“陶都・瀬戸の素晴らしい文化的資源”と位置づけ、その優れた技術や文化、資料や記憶を保存記録し、陶都の誇りを再生すること。

*ノベルティの可能性を最大限に多角的に引き出し、掘り起こすこと。例えば、少子高齢化社会の中で、ノベルティを子どもの情操教育に役立てたり、認知症患者のリハビリテーションに役立てたりするなど、現代社会での有用な用途を考究する。

*ノベルティを地域間交流という視点から広域的・巨視的に位置づけて捉えなおすことにより、陶都としての誇りを回復し、やきものを大切にした街の将来像やビジョンにつながるヒントやエネルギーを見出すこと。

*ノベルティ製品やノベルティの半製品(白生地などの未完成な状態のもの)を安易に産業廃棄物として処分するようなことを避け、愛好者に買って頂いたり、未完成品に絵付け加工を施したりして楽しんで頂くことで、環境への負荷を軽減するなど環境愛護の方法を探り、そして実践すること。

★「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」がノベルティを“瀬戸市のアイデンティティ”として位置づける理由

*ノベルティが瀬戸市で誕生し、そのほとんどが瀬戸市で作られてきたこと。

*ノベルティが、1300年と言われる瀬戸窯業の歴史と伝統の中で培われてきた高度の技術を結集して作り出されてきたものであること。

*ノベルティが洋食器とならんで、“瀬戸が最も輝いていた昭和時代”を特徴づける際立った製品アイテムであること。

*ノベルティが、窯屋(製陶会社)、デザイナー、原型師、型屋、鋳込み師、焼成技術者、絵付け師、下請け、内職の主婦など…、といった瀬戸市のやきもの製造に特徴的な「分業的生産構造」によって、住宅と混在する瀬戸市中の広範囲な場所で作り出されてきたものであること。
絵皿-1(瀬陶工「the products of seto (1987年刊)」より)

★《よみがえったノベルティの名品》
接吻1縦フル-1
このノベルティ人形の名品を白生地の状態で入手していました。
この白生地の所有者は、絵付けのできる職人さんを探すことができないままでいましたが、
ある絵付け職人さんを知り、その職人さんにこの白生地の絵付を手がけてもらいました。そして、絵付けを施されてよみがえったこの素晴らしい作品です。
横アップ仰ぎ-1
接吻背女の手-1
接吻レース-1
(この作品には見事なレースも加飾されています)
接吻女アップ-1
この職人さんに、昔通りの絵付けではなく、今の時代に合った若い感性での絵付けを試みてもらうよう依頼しました。そして、この見事な絵付けを仕上げて頂きました。
接吻仰ぎアップ-1
これから、腕と感性に優れたこの職人さんに私たちの活動に加わってもらい、
市中に埋もれ、市中に眠っているノベルティの白生地などに絵付けをして頂くことにしています。
横2-1-1

■「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」は“外に広く開かれた会”を目指します

★次のとおり、外に開かれた社会参加を志しています。

<他地域との交流>
(1)名古屋市や岐阜県美濃市など、「瀬戸ノベルティ」の製造や販売をとおして歴史的に結ばれてきた国内の他地域と交流し、“関係や交流の物語”を掘り起こすことで、そうした他地域との交流を創造的に発展させる。
(2)「瀬戸ノベルティ」を『もの言わぬ国際親善大使』『海を越えたほほえみの異文化交流使節』として捉えなおし、ノベルティとの関係の深い海外の国々と国際的な異文化交流を育む。(後述を参照)
<地球環境保護の取り組み>
(3)これまで売れ残ったり余ったりしてきた白生地などの半製品は廃棄され、産業廃棄物として処分されてきました。当会は、そうした白生地などの半製品をできるだけ資源化することで地球環境保護に貢献する。その一方法として、白生地などの半製品を「立体ちぎり絵」の素地としてリユーズすることで、新しい創作アートと取り組む喜びに変える。
   ※参考:「立体ちぎり絵」…美しい色で染めた美濃和紙を手で小片にちぎり、それを白生地に貼り付けて立体的なちぎり絵作品として創作すること。当会と岐阜県美濃市のちぎり絵サークルとの間で共同開発した新しい和紙画アート

<現代社会への貢献>
(1)さらに「立体ちぎり絵」の創作を認知症を患う人たちなどのリハビリテーションに役立てるなど、現代社会への貢献策も探る。

飾り窓1-1
飾り窓2-1
飾りまど3-1
西洋武者-1
飾り窓5-1
西洋乞食-1
飾り窓7-1
バレリーナ真横-1
(当会がもとノベルティ製造会社の社員より寄贈を受けたバレリーナのノベルティです)

kyoku noberu-1
(ノベルティの嚆矢で最高級の製品を作っていた「丸山陶器」製のノベルティです。
 NHK名古屋放送局の番組<さらさらサラダ>で撮影させて頂きました)

ヘッドベース-1(瀬陶工「the products of seto (1987年刊)」より)
貴婦人-1
(「ヘッドベース(head vase/頭の形をした器/壷/花瓶)」と言われるノベルティです)

美人顔アップ-1
飾り窓4-1

★当会は「社会貢献団体」を志します

当会は、ノベルティを一つの手がかり、一つの象徴として「社会貢献団体」であることを目指しています。半製品に命を吹き込む仕事を行なっていくほか、白生地のままでの販売、立体ちぎり絵用の白生地(素焼きやビスクなど)の掘り起こしや開発なども精力的に手がけていくつもりです。
それは、当会が、進む地球温暖化や深刻化する自然破壊の現状を前に、昨年10月に名古屋市で開催された「COP10(生物多様性条約第10回締約国会議・世界地球生き物会議)を特に意識しこれまで往々にして行なわれてきたような「在庫品や半製品の産廃処分化」をできるだけ行なわなくてもよいような方法を模索していきます。
瀬戸市には、日々、市外・県外からおびただしい量の産業廃棄物が押し寄せています。時間帯によっては、産廃処理業を表示した圏外ナンバーのトラックが車列を連ねていることがあります。そのため、美しい自然が刻々失われ、水質汚染への懸念を募らせながら、素晴らしいやきもの文化を生み出してきた陶土の山が「産業廃棄物の墳墓」へと姿を変えつつあるという現状があります。瀬戸市の自然環境への“虐待酷使”とも言えるこうした“広域的な人間の所業”を如何に改善していくのかが焦眉の急となっており、そうした環境への途方もない負荷をどのように軽減し、どのように癒していくのかが今、瀬戸市行政や私たち瀬戸市民に重く問われているのです。
muzen-1.jpg
ごーやチャン-1
青い鳥-1 青い鳥仰ぎ-1

 (「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」、姉妹団体「瀬戸ノベルティアーカイブス」)


★全国紙記者、瀬戸ノベルティを取材。今月中旬に掲載予定!
*某全国紙の記者(名古屋)が、4日、また瀬戸ノベルティを取材してくれました。瀬戸の内向きな企業風土の中でいわば異端とも言えるトレンド(風)を巻き起こしているレース人形専門メーカー「テーケー名古屋人形製陶」を当会の活動とともに取材され、8月初旬の朝刊に企画記事として掲載予定とのことです。
*このところ、CBCの「イッポウ」、NHKの「ほっとイブニング」、メーテレの「UP!」、日経新聞の「文化欄」など、瀬戸ノベルティについての真摯なリポート報道が続いています。今回の全国紙の記事も、じっくり腰を据えて瀬戸ノベルティの現状と課題、そして可能性を見つめたものとなりそうです。
*また、当会が開催している特別企画展『オキュパイド・ジャパン~占領下の瀬戸ノベルティ~』や瀬戸ノベルティを画題とした初の画期的なカレンダー製作のニュースも別の新聞で掲載されるかもしれません。

☆7日、当「瀬戸ノベルティ倶楽部」に瀬戸の知性の一人と言える方が来られ、「瀬戸の窯業はあと10年もたないかもしれないです…」とつぶやかれました。当会としても、今の瀬戸では、「陶都の崩壊が進んでいる」と見る目線が行政や業界団体に著しく欠如している、と指摘せざるをえません。
そうした中で、当会に瀬戸ノベルティ史でのターニングポイントとなるかもしれないような、ビッグなニュースが飛び込んできました。そのビッグなニュースは、「陶都崩壊感覚」の中で、「陶都再生への希望」につながるような風を告げるものです。『陶都であり続ける覚悟』。今、その覚悟が瀬戸の行政や業界団体だけでなく、瀬戸市民にも問いかけられています。当会も、当会なりの一つの覚悟の上に立って陶都の未来像へひとつの姿勢を表明しようとしています。そのビッグなニュースは当会のその表明の一つとなるものです。

*当会は、昭和25年に瀬戸市が加藤章市長時代に実施した『瀬戸市振興にかんする調査報告』に関する公的な冊子を入手。60年前、瀬戸窯業の構造的な課題が指摘されていました。それを再読して、当時すでに具体的に指摘されていた課題が業界行政ともに何ら改善されることなく、近年に見るとおりの瀬戸窯業の衰退をたどってきたことを今、改めて痛感しています。その詳細は後刻、改めてこのブログ等でご紹介します(2012年)。

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