アーカイブ :2011年01月 瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

瀬戸ノベルティ文化保存研究会・瀬戸ノベルティ倶楽部

“これこそ、せともの”セトノベルティの魅力を紹介し、その技術継承に努める市民活動団体です。

瀬戸ノベルティ文化保存研究会 We are the Seto Novelty Culture Preservation Society, a citizens’organization in Seto City, Aichi Prefecture 、Japan◆瀬戸ノベルティに“最高の評価”!レース人形の最高峰・TK名古屋人形製陶所製「アン王女」が皇室に献上!★瀬戸から「ノベルティ」と「昭和の青春切符~集団就職の記録~」を『日本遺産』に!◆時を超えて香り立つ魅力・ノベルティこそ“瀬戸の華”!セト・ノベルティこそ「せともの」!【瀬戸ノベルティ倶楽部:The Seto Novelty Club〈office〉、Americans who love SETO NOVELTIES, your mail to us is deeply welcome. address :setonovelty_club@yahoo.jp】 写真などこのブログでの画像の無断使用は固くお断りします!

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徳川宗春と瀬戸ノベルティ

徳川宗春のこと
【2012 年1月1日掲載】
★当会オリジナル製作のノベルティ「徳川宗春像」:大島りえさんの絵付け作品
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      不況という木枯らしの中に喘ぐ瀬戸の町で、宗春が生きた「夢の跡」をふりかえる…
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     (唐人笠を入れた高さ約24cm、長さ約21cm、幅約8,5cm、キセルの長さ約21cm)
        ま俯瞰上向き1フル-1-1
 増税か減税か、その議論を超えて、「人の上に立つ者のあるべき態度」を問いかける反骨と直言の問題児…

当「瀬戸ノベルティ文化保存研究会」は、2010年の「名古屋開府400年祭」にちなんで、もっともっと再発見されるべき異色の尾張藩主・徳川宗春の像を瀬戸ノベルティの磁器人形として製作しました。
結果としては挫折した徳川宗春の施策ですが、その開明的で文化重視の政治哲学を今に活かせないものか…。「堅実」と言われる一方で、「縮み志向で、冒険心がなく、華がない」とも評される名古屋圏人気質。その気質に風穴を開け、“喝!”を発し続ける徳川宗春の政治哲学を再評価し、合わせて、瀬戸ノベルティの高い技術保存を託す試みとして、「残された歴史学的成果をできるだけ下敷きとして」「徳川宗春の魅力をテーマに」当会が製作して世に送るものです。
この徳川宗春ノベルティ人形は、一体一体が「メイド・イン・瀬戸」「メイド・イン・ジャパン」に限界までこだわった手作り品であるため、高価なものとなってしまいました。現在のものづくりの趨勢では、「中国産」とすればもっと安価にできることでしょう。しかし、当会は敢えて「メイド・イン・瀬戸」「メイド・イン・ジャパン」にこだわって製作しました。その結果、高価なものとなってしまいましたことを誠に心苦しく思っております。
        横人物上半身正面BS-1
牛左アップ-1 牛右アップ-1

★テレビドキュメンタリー『宗春を知っていますか』を知っていますか?
徳川宗春については、当会代表が、昭和59年、NHK名古屋放送局テレビ放送開始30周年記念番組として、俳優の森本レオさんの主演により『宗春を知っていますか』を制作しました。この番組が名古屋地方で初めて本格的に宗春を掘り起こし「宗春再評価」の大きなきっかけとなったのです。作家・城山三郎、評論家・上坂冬子、建築家・内藤昌、尾張藩法制史研究の林菫一、経済評論家・神谷満雄、もと東海銀行会長・三宅重光、御園座もと会長・長谷川栄一、名古屋もの作家・大野一英、大須ういろもと会長・山田昇平、名古屋市立女子短大もと教授・小島広次の各氏のお話を交え、南山大学・安田文吉教授のご教示を頂きながら構成したテレビドキュメンタリーでした。この番組の放送以後、徳川宗春に関連する書物の刊行や話題が続きました。、
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★異彩を放った尾張藩主・徳川宗春とは…
徳川宗春は、御三家筆頭の尾張第7代藩主(1696-1764)です。今、再評価が急速に進む名古屋人の筆頭で、江戸時代の藩主の中で最も異彩を放つ藩主として全国的に知られる異色の殿様です。テレビの“暴れん坊将軍”では、英雄視される8代将軍・吉宗からは「陰険でいやな奴」と蔑まれ、唾棄されるのがこの徳川宗春。この二人は、宿命のライバルでした。テレビでは、「全国を漫遊しなかった水戸の黄門様」と同様、「勧善懲悪のカタルシス」として庶民の憧れと願いを担ってきた「架空のヒーロー」として吉宗を描いたのが“暴れん坊将軍”です。吉宗をそうした虚構の“こうあって欲しい将軍”に仕立て上げるための過大な演出から、いわば「宗春」がいけにえにされ、「陰険でいやな奴」という「作り上げられた悪役像としての宗春像」が世に流布しているのです。しかし、当会が掘り起こそうとしている「宗春像のイメージ」はおおいに違います。「陰険でいやな奴」どころか、宗春は、都会的で開明的、高い教養と文化的素養にたけた異色の為政者であり、反骨精神をみなぎらせた殿様という側面を見出そうという視点からの「宗春再発見」なのです。
宗春は280年前の1730年に第7代尾張藩主になりました。第8代将軍吉宗は「享保の改革」と呼ばれる緊縮倹約政策、…中央政府である幕府の権限強化・強権発動という「大きな政府」「法と官僚による国家システムの整備」による支配をめざしました。宗春はそれに真っ向から対峙する開放政策を行い、その治世下、江戸、大阪、京都の三都をしのぐ日本一の繁栄を名古屋にもたらしたのです。この時代、「芸どころ・名古屋」と呼ばれる基礎ができ、松坂屋や三越名古屋店などが興隆を見せ、全国から商人を集めました。
宗赤1腰アップ-1
横腰部分どアップ-1

★「宗春の反骨・直言」を愛した作家・海音寺潮五郎
「…宗春公は?と見ると、わざと乗物を避けて、馬上である。真っ白な馬、燃え立つような緋の鳥毛を立てた鼈甲(べっこう)の唐人笠、金糸で紋を繍(ぬ)った虎の陣羽織を来た異様な姿だ。…豪奢華麗を極めた行列を見て、名古屋の領民はみんな驚いた…」。1939年から宗春の小説を「現代」に連載した作家の海音寺潮五郎は、その書『風流大名』(後に『宗春行状記』『吉宗と宗春』と改題)の中で、宗春が藩主として初めて名古屋に入った時の様子をこのように書いているのです。
新撮縦牛前部-1 黒縦人物顔なし-1

★「人の上に立つ者のあるべき態度」
今も新鮮な宗春の“マニュフェスト”『温知政要』(施政方針)

宗春は自らの政治理想を『温知政要』(おんちせいよう)という書物に書き記しました。今で言うマニュフェストで、政治家や官僚など、人の上に立つ者のあるべき態度や吉宗政治に対抗するような施政方針が掲げられており、その要点は、規制緩和、減税、個性と命の尊重、文化政策の重視でした。享保(きょうほう)年間は、元禄時代に続く低成長の時代と言われ、バブルに続く低成長の現代にも似た状況にありました。宗春は「慈」と「忍」を座右に置いていました。民に対してはいつしみの「慈」を以って政治を行い、幕府など支配階級など為政者に対しては「忍」の姿勢を、つまり、己に厳しくあれという戒めを尊びました。着物は木綿、食事は一汁三菜という吉宗に比して宗春は、ことごとく吉宗とは対照的であり、江戸時代の歴史の中でも前代未聞の異色の殿様であったのです。
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★「増税派の吉宗」VS「減税派の宗春」
宗春は、芝居や遊郭にも足を踏み入れたし、常滑や小牧、瀬戸など藩内各地にしばしば出向きました。それは「上に立つ者は下々の世情にも通じなければならない」との考えからでした。宗春は、歌舞伎者のような型破りの異様ないでたちで名古屋人の耳目を集め、その度肝を抜いたのです。ある時は黒の着物に黒の足袋という黒尽くめ、ある時は青や猩猩緋の着物、頭には鼈甲製や萌黄色の縁が盛り上がった唐人笠。白い牛にまたがり、菩提寺の建中寺や瀬戸の藩祖義直廟などに詣でたと言われます。また、宗春は「減税」も行ないました。吉宗が年貢「四公六民」(四割を年貢として徴収し、六割を農民に残す)を「五公五民」(五割を年貢、五割を農民の元に残す)へと一割の増税を行ったのに対し、宗春は「四公六民」に据え置き、さらに「三公七民」にまで減税したと言われます。
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★増税か・減税かの議論を超え、為政者は『宗春の負の遺産』から何を学ぶのか?
しかし、そうした税金政策の他、芝居小屋や遊郭、歌舞音曲などを自由に認めたりしたため藩財政は赤字に転落。幕府と通じていた藩の重臣である付家老(犬山城主・成瀬)や竹腰などに背かれたりして、最後まで尾張藩の高級官僚を掌握することができないまま、付家老から宗春の行状について逐一報告を得ていた吉宗からついに謹慎蟄居を命じられて失脚。宗春の治世はわずか約8年で終わりました。そして、25年にも及ぶ謹慎蟄居生活を余儀なくされ、69歳の人生をひっそりと閉じたのです。

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★「名古屋開府400年の課題」…名古屋は『宗春』から真に開明的な政治哲学と非情な政治力学を学んでいるか?
宗春は、今、自信に満ちた自主性のある個性的な町をめざして全国的にも知名度の高い河村名古屋市長のイメージを思い起こさせる、との声もあります。「宗春」は「胸張る」に通じ、希望を感じさせます。そこで、当会は昨年の名古屋開府400年を機に、名古屋のあり方を真摯に問い直すこの宗春のノベルティを作ることとしたのです。
宗春が8年余で失脚したのは、吉宗に内通する付家老から離反され、幹部重臣の人心を把握することができなかったためとも言われます。海音寺潮五郎や清水義範氏の小説にもそのようなニュアンスが書かれています。為政者が直視すべきことは、宗春のそうした「負の側面」です。人気の高い首長であればこそ、その高い理想、有権者の熱い願いも託されているその理想を実現するため、宗春の「負の側面」を教訓として頂きたいと思うことしきりです。
さらに言えば、「宗春事件の負の教訓」が、ある意味で「無意識のトラウマ」とも言えるようなものになって、巷間言われる「内向き、保守的で、謹厳実直ではあるが、面白味のない名古屋人の拝金主義」とでもいうような消極的気質に結実してしまっているのではないか…、そんな説もあります。
「保守的・謹厳・実直、拝金(倹約一点張り)主義」というのは、宗春を断罪し、その墓に死後数十年間にもわたって金網をかけさせたという「宗春の宿敵・徳川吉宗」の主義信条でもあったことと思い合わせれば、その説もあながち的外れとは言えないのかもしれません。
宗春をただ諸手を挙げて賛美するのではなく、「時代を切り拓く歴史の教訓」として今風に総括をしなおさなければ、宗春は、ただの「馬鹿殿様」、「罪作りなただのピエロ」に堕してしまうのでしょう。
   
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★宗春ノベルティ人形は「50体限定販売作品」です。
この「徳川宗春」ノベルティは、当会会員でもある原型師・鈴木通夫さんによる原型製作、国認定一級絵付け技能師の大島りえさんによる手描きによる絵付けを施した「50体限定製作作品」です。価格は25.000円。この販売代金は、ノベルティの技術を守り続けている瀬戸の小さな工場や職人の生活と誇りを支え、ノベルティの文化と技術を保存継承するための活動資金に活用させて頂きます。

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★伝統窯業が不況に喘ぐ瀬戸の町で、宗春が生きた「夢の跡」をふりかえる…。「宗春の伝言」とは…。
当会がこの「宗春人形ノベルティ」の製作を敢えて試みたのは、次の二つの思いからでした。
①「名古屋開府400年」が、名古屋の繁栄が名古屋圏=名古屋の周辺地域の地場産業との緊密な結びつきという歴史と背景とによってもたらされてきたにもかかわらず、そうした視点はほとんど注視されず、「名古屋圏に於ける地場産業の共存共栄」という、誠に緊要で今日的な視点の取り込みがきわめて不十分であることが残念である。
②「名古屋開府400年」での「宗春」の取り上げ方が、宗春を諸手を挙げての身贔屓からか、“正の評価”に過剰に偏しており、当然なされるべき“宗春の負の遺産の総括”が官も民も知識人もがほとんど軽視し、宗春の“負の遺産”を直視する人も少なく、その“負の遺産”を俎上に載せ、勇気を以ってその“負の遺産”のちすち未来志向の教訓を汲み取ろうとする人くち少ない。゜宗春という特筆すべき逸材・格好な存在むが歴史の彼方から発している有意義で未来への示唆に富む問いかけにほとんど耳を傾けようとしていないことが誠に残念である。

「この地域のあり方を真摯に、そして楽しく考え、論じ合う、そのまたとないテキストとして宗春を読み解き直したい…」。2010年の「名古屋開府400年という喧騒」が真冬の静寂のしじまの中に消え去った今こそ、そんな思いを新たにしています。伝統の窯業が厳冬の木枯らしの中に喘ぐ瀬戸の町で、宗春が生きた「夢の跡」を振りかえり、「宗春の伝言」をじっくりと噛みしめてみたい…。当会は、そう思っています。
 
★★大島りえさんが絵付けした当会オリジナル製作「徳川宗春」(とくがわ・むねはる)の人形ノベルティは、1体25.000円です。
◎「徳川宗春ノベルティ」は、ご注文を受けてから絵付けを施しますので、お届けするまでに一ヶ月ほどお待ち頂きます。当会事務局長・中村までファクスでお申し込みください。どうか、よろしくお願い致します。
(ファクス0561-21-9026、携帯090-3302-0905 中村)

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